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白鵬、3・11から10年寄り添い続け 国技館と同じ土俵を被災地に寄贈

2021年10月2日 05時00分 (10月2日 05時01分更新)
2014年8月、宮城県気仙沼市に大相撲の力士会が寄贈した土俵の落成式で中学生らと記念撮影する白鵬(後列左から4人目)ら

2014年8月、宮城県気仙沼市に大相撲の力士会が寄贈した土俵の落成式で中学生らと記念撮影する白鵬(後列左から4人目)ら

  • 2014年8月、宮城県気仙沼市に大相撲の力士会が寄贈した土俵の落成式で中学生らと記念撮影する白鵬(後列左から4人目)ら
  • 白鵬への思いを語る熊谷文雄さん=宮城県気仙沼市で
 白鵬は、2011年に起きた東日本大震災の被災地に思いをはせ続けてきた。力士会会長として音頭を取り、震災翌年の12年に岩手県山田町、14年に宮城県気仙沼市に土俵を寄贈するなどリーダーシップを発揮。復興と相撲への願いは今も東北地方に息づいている。 (永井響太)
 「3・11」から十年。気仙沼市相撲場の土俵はシートで覆われていた。「今年、大相撲の巡業をやるはずだった」。気仙沼相撲協会の熊谷文雄(あやお)会長(77)は残念がった。新型コロナウイルス禍で計画は頓挫したからだ。
 かつて公民館内に土俵があった。被災した市の事務所が移ったために閉鎖。十両以上の力士で構成する力士会は、子どもたちが稽古できなくなったことを知り、会長だった白鵬を筆頭に約千二百万円を寄付。十二メートル四方、高さ六メートルのやぐらを備え、東京・両国国技館と同じ土を使った土俵が完成した。
 一四年八月の落成式では関取八人が市民と交流した。分け隔てなく触れ合う白鵬に熊谷会長は「偉ぶらない。子どもたちに話し掛けるにも包み込むような対応だった」と懐かしむ。
 三月十一日生まれの白鵬は「宿命」と捉え、震災三カ月後には力士会会長として被災地を...

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