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長い間“1人横綱”として頑張ってきた白鵬…常に理解されぬもどかしさ抱えながらの相撲人生【大相撲】

2021年9月28日 05時00分

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小手投げで照ノ富士(下)を下し名古屋場所優勝、雄たけびを上げる白鵬=7月、ドルフィンズアリーナで

小手投げで照ノ富士(下)を下し名古屋場所優勝、雄たけびを上げる白鵬=7月、ドルフィンズアリーナで

◇番記者コラム
 史上最多となる45回の優勝を誇る不世出の横綱白鵬(36)=宮城野=がついに土俵を去る。師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)が27日、東京・両国国技館を訪れ八角理事長(元横綱北勝海)に口頭で引退を伝えた。
   ◇   ◇
 横綱は既に覚悟を決めているんだ…。ドルフィンズアリーナの2階席にいた私は、あのときに感じた心臓の高鳴りを忘れることができない。
 全勝優勝をかけて臨んだ名古屋場所の千秋楽。横綱はしこ名を呼び上げられてもすぐに立ち上がらなかった。土俵に顔を近づけておでこを土俵にあてると、静かに目を閉じた。「これは…」。初めて見る光景だった。土俵の神様から最後の力をもらい、授かった力に感謝し、別れを告げたように見えた。取組後は観戦していた子供たちが号泣していた。今さら何を言っても記者としては失格なのだが、笑顔で喜ぶはずの子供たちの涙がそれを物語っていた。
 その言動がバッシングを浴びてきた。しかし、聞かれれば「月のような人」と答える。横綱に昇進したばかりのころは、朝青龍関という太陽がまぶしすぎて「太陽を反射して輝く月」。いわば脇役としての月。失礼ながら、当時はそう思っていた。優勝40回をとうに越えた横綱に向かい「月のような人」と言ったことがある。もちろん、そのときは同じ「月」でも脇役としてではなかった。
 「相撲界が先の見えない暗闇に包まれていたときがあった。そんなときこそ太陽じゃなく、夜道で足もとを照らすような優しい月明かりが必要だった」。恥ずかしげなく言葉を並び立てた私を横綱は「単純さが月に見えたのかもしれませんね。(目立つようなことは)いらなかったかもしれない」と笑って受け入れてくれた。
 2010年の野球賭博問題、翌年の八百長問題に東日本大震災。力士会会長として被災地への10年間の支援を提案し、土俵を寄贈してきた。長い間を1人横綱として、ずっと夜道を照らし続けてきたことを忘れないでいたい。常に理解されぬもどかしさを抱えながらの相撲人生だったと思う。日本人力士と比べられる日々。「どこか気を使ってた部分はあった。『きょう勝ったらみんな喜ばないだろうね』とか」。そう聞かされたときは胸がつまった。
 2013年九州場所14日目。稀勢の里に敗れた横綱は、負け残りの土俵下にいた。ふいに湧き起こった稀勢の里への万歳三唱。寂しかった。「頑張ってきたことがこれなのかと」。ただ、すぐに「よく考えたら当然。勝って騒がれるのではなく負けて騒がれるとはこういうことかと。そういう存在になったのかと」。常に前を向いてきた。
 「結びの一番と言うけど、最後だと思ってるんでしょ?」と投げかけられたことがある。横綱はこう続けた。「結びは始まりです。帯も結ぶし、まげも結ぶ、綱も結ぶ。お相撲さんは結ぶものがたくさんあるんです」。終わりは始まり。また前を向く。(岸本隆)

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