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15世紀前半 能登最古の武家庭園 礫敷き道の遺構 全国でも珍しく

2021年9月23日 05時00分 (9月23日 05時03分更新)
礫を敷いた道の遺構(手前)など貴重な成果が確認された松波城の庭園跡の発掘現場=能登町松波で

礫を敷いた道の遺構(手前)など貴重な成果が確認された松波城の庭園跡の発掘現場=能登町松波で

  • 礫を敷いた道の遺構(手前)など貴重な成果が確認された松波城の庭園跡の発掘現場=能登町松波で

能登町 旧松波城で発掘調査

 能登町松波の旧松波城にある庭園跡は、能登地域の武家庭園としては最も古い十五世紀前半に存在した庭園で、敷地の門近くから建物入り口につながる礫(れき)を敷いた道の遺構は、他にほとんど例がない珍しい遺構とみられることが、町教委の五年にわたる発掘調査で分かった。町教委の新出直典係長(47)は「庭園跡の調査例は少なく、十五世紀前半の遺構がそのままの状態で保存されていたのは大変貴重」と意義を語る。二十五日に現地で報告会が開かれる。 (上井啓太郎)
 松波城は築城時期などは詳しく分かっていない。当時この地方で有力な武士だった松波氏が居城としていたが、一五七七年に上杉謙信の能登進攻で落城した。その中にある旧松波城庭園跡は、一九六二年に発見され、断続的に一部が調査されてきた。二〇一二年一月に国指定名勝となり、一六年度から全体的な発掘調査が始まった。
 発掘調査では土師(はじ)器や珠洲焼、越前焼が見つかり、庭園が作られた時代は十五世紀前半と判明した。敷地内で客人をもてなすための施設だった建物の全容も判明。門近くから建物の入り口につながる礫を帯状に敷き詰めた道の遺構は似た遺構の例がほとんどなく、保存状態も良いため、当時の庭園文化を解明する手掛かりになる貴重なものだという。
 公家の護衛などのために京都に行く機会があった松波氏が、現地の庭園文化を能登に持ち込んだ最初期の遺構とみられ、新出係長は「長い歴史のある庭も、現存するものは初めの形からだいぶ変わっている。ここは比較的短期間で火災で焼失したため、昔のものがそのままパックされているようだ」と特徴を説明する。

25日現地報告会

 今後、遺跡は保存のため埋め戻し、町教委は調査報告書の作成に取り掛かる。二十五日に、全容が見られる最後の機会となる現地報告会が予定されている。午前十時、午後一時の二回開き、一時間ほどの解説が現地で聞ける。小雨決行。旧のと鉄道松波駅跡に集合する。(問)町教委0768(62)8537

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