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プロとアマの壁はこうして生まれた…語り継がれる入団劇『柳川事件』ドラフト施行前の激しい争奪戦と残した禍根

2021年9月18日 10時05分

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日本生命から中日入りの柳川福三

日本生命から中日入りの柳川福三

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って~強竜列伝~
 「プロアマ規定」が注目を集めている。天理高の達孝太投手と阪神が7日に面談。しかし、プロ志望届の提出前だったことが問題となった。高野連は天理高の監督と部長を厳重注意とし、阪神は平身低頭で謝罪した。
 アマチュア選手がドラフト会議で指名され、プロになる。そこには「規定」が存在し、両者ともに順守が求められる。プロとアマの間にそびえる壁は、かつてはもっと高かった。そのきっかけとなったのが柳川福三(1936~94)だった。
 ドラフト施行前の61年。自由競争ではあったが、毎年協定を結んできた。ところがこの年は改定案を巡って紛糾。調印のないまま、日本生命の4番打者の争奪戦が水面下で激化した。阪急、巨人、南海、近鉄との争いを制したのが中日。同年4月15日に、名古屋遠征中だった柳川と、面識があった濃人渉監督も同席して極秘交渉し、口説き落とした。21日の入団会見では、背番号52のユニホームもお披露目された。
 これに社会人野球協会(現日本野球連盟)が激怒。退団者のアマ復帰を一切、受け入れないと表明した。両者の関係を一気に冷え込ませたこの件は、のちに「柳川事件」として語り継がれることになった。
 中京商高(現中京大中京高)から中京大を経て日本生命へ。同校は3年夏に全国制覇したが、柳川はメンバーに入っていない。同学年で、先に中日入りした中山俊丈から、生前に「事情」を聞いたことがある。
 「当時の中京では2年夏にユニホームを着られそうもない選手には、マネジャーや軟式への転部を勧めていたんです」。つまり、17歳の夏に柳川は肩をたたかれた。転部からはい上がり、故郷に錦を飾った。そんな晴れがましい入団が、まさかプロアマ断絶の象徴となろうとは…。
 5年間で出場144試合。39安打、2本塁打という寂しい成績で引退した。柳川は自身の入団経緯を語ることなく、94年に亡くなった。ついに壁が撤廃され、元プロのアマ復帰が認められたのは、その5年後のことだった。

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