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長比城跡、新たな土塁確認 米原市が発掘調査実施

2021年9月16日 05時00分 (9月16日 08時05分更新)
長比城の東曲輪を、城外から見た虎口。右上にある石が積まれた部分が新たに見つかった土塁=米原市柏原で(同市提供)

長比城の東曲輪を、城外から見た虎口。右上にある石が積まれた部分が新たに見つかった土塁=米原市柏原で(同市提供)

  • 長比城の東曲輪を、城外から見た虎口。右上にある石が積まれた部分が新たに見つかった土塁=米原市柏原で(同市提供)
 戦国大名・浅井長政が越前(福井県)の朝倉氏の協力を得て岐阜県関ケ原町との間にまたがる野瀬山に築城した長比(たけくらべ)城跡(米原市柏原)で、虎口と呼ばれる城の出入り口に、新たな土塁が確認された。米原市が六〜八月に発掘調査を実施した。従来考えられてきたよりも侵入しづらい形状の虎口であったことが分かり、調査を担当した市教委の石田雄士さん(38)は「浅井、朝倉両氏が高い技術を持っていたことがうかがえる」と話す。
 長比城は一五七〇(元亀元)年、朝倉氏を攻める織田信長に長政が急襲した後、信長からの侵攻に備えるために築城された。市は長比城跡と須川山砦跡(同市須川)の国史跡指定を目指し、二〇一九年度から三年間の計画で発掘調査を実施。初年度は測量、昨年度は須川山砦跡の調査に取り組んだ。
 本年度は長比城跡で、土塁や石垣で仕切られた区画である曲輪(くるわ)を二つ含む約七十五・五平方メートルを調査。正門であったと見られる東側の曲輪の虎口は、二つの門で空間を挟み込む「枡形(ますがた)」をしている。これまでは城に入る際、虎口を直進で進むと考えられていたが、虎口の内側に新たに土塁が見つかったことで、城内に入るま...

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