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ヨカヨカ生産者を直撃!27年前、牧場手放し馬5頭の『放浪生活』どん底を救った馬がいた【競馬の話をしよう。】

2021年9月11日 06時00分

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ヨカヨカの母ハニーダンサーと本田土寿さん

ヨカヨカの母ハニーダンサーと本田土寿さん

 競馬の世界を掘り下げる企画「競馬の話をしよう。」。節目となる第10回は、北九州記念で熊本県産馬として初となるJRA重賞制覇を成し遂げたヨカヨカ(牝3歳、栗東・谷)が生まれた熊本市の牧場を訪れ、生産者の本田土寿さん(60)を直撃した。九州で生産者を目指した経緯やこれまでの道のり、ヨカヨカについての話を聞いた。(聞き手・関俊彦)
   ◇   ◇
 ―ヨカヨカの重賞制覇おめでとうございます
 本田さん「重賞でも惜しい競馬が続いていたから、あの日は自分もそうだけど、谷(潔)先生や幸(英明)騎手、岡(浩二)オーナーとみんなの思いが爆発してああいうレースになったんだと思います。最高でしたね」
 ―1代で牧場をここまで成長させた。どういう経緯で始めたのか
 「小さい時は西部劇を見るのが好きで、将来は本気で(映画の)『荒野の七人』みたいなカウボーイになりたいと思っていました(笑)。それで農家をやっていたおやじに馬を買ってくれと毎日せがんでいたら、小学4年生の時に1頭の農耕馬を買ってくれました。高校生になった時にその馬を売って金沢競馬場にいたアラブ種のメルシヤンって牝馬を買って、裏の竹山から竹を切って牧柵を作ったりしているうちにどんどん牧場がやりたくなってきて、高校卒業する時におやじにせがんで始めたのがきっかけです」
 ―最初からサラブレッドの生産を?
 「ばん馬(農耕馬)がメインで、将来お肉になる馬も肥育したりしていました。熊本では昔から馬肉は有名ですからね。でもそのころから中央競馬のオーナーブリーダーになりたいっていう夢もあって、20歳過ぎにサラブレッドの生産を本格的に始めました」
 ―そこから順調に牧場を続けていったのか
 「実は平成6(1994)年にいろんなことが重なって牧場を全て手放しました。手元に残ったのはサラブレッドとアラブの計5頭だけ。それでも清和村(現・山都町)とか場所を転々として生産は続けました。清和村は星がきれいに見える場所なんですが、軽トラの荷台に畳を敷いて、『このままでは終わらんぞ』って星を見上げていましたね。地元の牛舎を間借りして生産させてもらった時もありましたが、そんな時にマイネルマリク(父サンキリコ)が生まれました」
 ―マイネルマリクが一つのきっかけに?
 「思い切って(2002年10月に)当歳馬を北海道に連れて行ったら、マイネルの岡田(繁幸)さんが420万円で買ってくれたんです。当時はその日暮らしでしたから、売れた時は天にも昇る気持ち。結局、マイネルマリクは3勝したんですが、中でも(2005年に荒尾競馬で行われた)たんぽぽ賞はよく覚えてます。まさか自分の生産馬が1番人気で、たんぽぽ賞に出る日が来るなんて思っていませんから。パドックでガチガチに緊張してたら、鞍上の幹夫ちゃん(松永幹夫・現調教師)から『落ちないように乗ってきます』なんて言われたのが懐かしいです」
 ―その後、今の場所(熊本市東区戸島町)に
 「もともと畑だった場所を友人が売ってくれ、そこに基礎から馬房から運動マシンまで全部手づくりしました。水道ホースで水平を測ったり、一斗缶で基礎を作ったりして楽しかったですね。それで戸島の地での最初の生産馬だったフォーシーズンゴー(父メガスターダム)が北海道で630万円で売れて、新馬戦では武豊騎手が乗って差し切り勝ち。初めての新馬勝ちだったし、これもよく覚えてます。そこからカシノティーダやローランダーとつながって今がありますね」
 ―そんな中、ヨカヨカが誕生する
 「(母の)ハニーダンサーはおなかにローランダー(父トゥザグローリー)がいる時に買ってきました。ハニーは筋肉隆々で重戦車みたいな体が魅力だったので、俊敏さがあるスクワートルスクワートを種付けすれば、軽いスピードもつくのではと。生まれた時から形は良かったのですが、1歳の後半ぐらいに一気に馬が変わりました。JRAさんが340万円で買って宮崎育成牧場で調教してもらって、ブリーズアップセールに出てきたんですが、その前の展示会が鳥肌もんでした。馬なりでその日の最高時計でしたからね。こりゃ走るばいって思いました。そこから岡オーナーが買ってくれて、谷先生のところへ。素晴らしい巡り合わせも続きましたね」
 ―デビュー戦では、良血馬モントライゼに快勝。暮れにはG1の阪神JFにも出走した
 「モントライゼは松永幹夫厩舎っていうのもありますし、新馬戦はすごい印象的でした。最後はじけるぞって思ってたら、予想通りはじけて頭差勝ち。でも驚いたのはフェニックス賞。スタートから競りかけられて10秒台のラップが2回も続くハイペースで逃げ切りましたから。正直、新馬から2連勝なんて夢のまた夢と思っていましたが、あれで夢が膨らみました。それでG1では逃げて、直線でも二の脚を使ってくれて正直勝てるかもと思わせてくれました。負けはしましたけど、生産馬としての初めてのG1が5着ですからね。本当に夢のようでした」
 ―3歳を迎え桜花賞後からスプリント路線に移り、葵S2着、CBC賞5着。そして北九州記念で悲願の重賞制覇になった
 「葵Sは(鼻差で負けて)本当に悔しかった。でも、4コーナーで包まれて駄目かと思ってたので、こんな競馬もできるんだと収穫も大きかった。普通の根性の馬では沈んでいきますからね。だから北九州記念の直前で大雨が降った時は、天が味方してくれたと思いました。脚の回転が速くて道悪は問題ないし、何より根性がありますから。大外から突き抜けた時は、それはもうお祭り騒ぎでしたし、涙が出るくらいうれしかったですよ」
 ―本田さんの生産馬の活躍が続いている
 「周りの人に恵まれているだけで、自分は普通のことをしているだけです。うちの牧場のスタッフはみんな馬が大好きだから、生産馬は生まれた時から愛情いっぱいで育っている。そういう点で人間との信頼関係は小さい時からできていますから、馴致(じゅんち)が楽だと言ってもらえているのは、とてもうれしいです。あと、うちの放牧地は粘り気のある泥の中。小さい時から滑って粘る場所で走っているから道悪は得意になるんだと思います」
 ―今後の目標は
 「馬は深い。まだまだ未知の世界だと思っています。だからこそこんなにワクワクドキドキすることはない。どこで生産しようが、強くて速ければいい。九州は北海道に比べれば下に見られることもありますが、だからこそ反骨心というか負けてたまるかという気持ちになります。九州も北海道も馬を育てるということは変わりませんからね。北海道を超えたいなんて思ってはいませんが、やり方次第では近づき、並べるとは思っています。今、阿蘇の方で東京ドーム4つ分ぐらいの土地を買って、放牧地や坂路を作っています。九州の利点は冬場が暖かいということだし、冬場にしっかり乗り込んでいければという考えです。これまでいろいろあったけど、馬と携わってこれたから苦労したなんて全く思っていません。これからも生きている限り、大好きな馬と挑戦し続けたいと思っています」

▼本田土寿 (ほんだ・つちとし) 1961年1月31日生まれ、熊本市出身の60歳。米や麦など生産する農家の三男として生まれ、18歳から牧場運営を開始。2005年にマイネルマリクが3歳未勝利を勝って中央初勝利。主な生産馬はヨカヨカ(21年北九州記念)、イロゴトシ(揖斐川特別)など。18年からカシノティーダ、イロゴトシ、ヨカヨカ、ヒノクニでひまわり賞4連覇を達成している。現在、熊本市東区戸島町にある本田土寿牧場では、分場を含めて約2ヘクタールの土地で繁殖牝馬17頭とコパノチャーリー、ロードバリオス、アレスバローズの3種牡馬をけい養。現在、阿蘇地方で牧場の建設を進めており、来年4月に完成予定。

 ▼九州の生産馬 九州地方は戦前までは一大馬産地として栄えたが、戦後に北海道が主流になった影響で規模は縮小化。現在は鹿児島、宮崎、熊本の3県に生産農家が点在しているが、年間生産頭数(約70頭程度)は全体の1%程度にとどまっている。生産馬は主に九州1歳市場(6月)で取引されているが、北海道のせりに出されるケースもある。1歳市場で取引された馬は、JRA宮崎育成牧場でトレーニングされる馬も多い。また、種牡馬は各牧場にけい養され、日本軽種馬協会九州種馬場(鹿児島県大崎町)には現在、ヨカヨカの父スクワートルスクワートがけい養されている。

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