<東京再挑戦>幻のモスクワ五輪代表から…喪失感と戦う現代のアスリートにヒント

2020年4月2日 02時00分

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ソウル五輪でパキスタン選手を下しガッツポーズの太田章=1988年9月、尚武体育館で(共同)

ソウル五輪でパキスタン選手を下しガッツポーズの太田章=1988年9月、尚武体育館で(共同)

  • ソウル五輪でパキスタン選手を下しガッツポーズの太田章=1988年9月、尚武体育館で(共同)
  • モスクワ五輪の選手団名簿を手にとる太田章さん=埼玉県所沢市内で(木村尚公撮影)
  • 1980年5月、モスクワ五輪への夢は遠のいたが、練習に励む河原月夫
  • 幻のモスクワ五輪を回顧する河原月夫さん=名古屋市港区の愛知県武道館で(木村尚公撮影)
 新型コロナウイルスの影響で2020年東京五輪は1年延期となり、21年7月23日に開幕することになった。各選手の調整は根本的な見直しを迫られ、年齢的な問題で出場できなくなる選手も出てくるかもしれない。五輪延期は前例のない非常事態だが、似た例なら40年前にあった。1980年モスクワ五輪。日本のボイコットで代表選手の五輪切符は「幻」となった。レスリング男子フリースタイル82キロ級の太田章さん(62)と柔道男子95キロ級の河原月夫さん(70)が当時を振り返り、喪失感と戦う現代のアスリートにヒントを示した。 (木村尚公)
 1980年5月24日という日は忘れようにも忘れられない。太田さんは五輪へ向けた合宿中、突然「五輪には出られない。きょうで解散」と伝えられた。太田さんは「日本としてはボイコットでも、レスリングは個人として出られないかという可能性も探っていた。それすらもなくなった」と苦々しく振り返る。
 中学時代は柔道で秋田県のチャンピオンになったが、高校でレスリングに転じた。「五輪」に出たかったからだ。早大では全日本学生選手権を制すなど力をつけた。80年は卒業の年と重なり、「社会人1年目で仕事に穴はあけたくない」と留年を選択。そうまでして目指したモスクワが露と消えた。
 自分が出るはずだった五輪をテレビで見た記憶はほとんどない。「泣きながら酒を飲んでいた。切り替えはなかなかできなかった」と言う。空白を埋めるように大学での研究に打ち込み、レスリングへの情熱も取り戻していった。
 その後の歩みは伝説だ。「モスクワの悔しさはロスでしか晴らせない」と84年ロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得。ソ連などのボイコットでメダルの価値が一部で疑問視されると、88年ソウル五輪で再び銀メダルをもぎ取った。引退と復帰を繰り返し92年バルセロナ五輪にも出た。幻のモスクワを振り出しに長く太いレスラー人生を全うした。
 太田さんは五輪延期に直面したアスリートたちへ贈る言葉をこう紡いだ。「これが人生。誰が悪いわけでもない。自分は不運を受け止めてやってきた。モスクワで夢を降りていたら幻の代表のままで終わっていた。結果的にそれが3度の五輪につながった」
 一方、幻のままで終わってしまった選手も数多い。2008年5月、河原さんはモスクワの五輪会場を当時の代表メンバーたちと踏みしめた。「自分が出ていたらどうだっただろう」。複雑な思いが去来した。
 20歳でアジア選手権を制し将来を嘱望されたが、明大4年時にウイルス性の肝炎に冒された。「ずっと体調が悪く、練習で追い込むことができない」状態のまま、72年ミュンヘン、76年モントリオールと五輪の2大会が過ぎていった。
 31歳で迎えるモスクワ五輪が最後のチャンスだった。体調は上向き、体重無差別で争うその年の全日本選手権では、4年後のロス五輪で金メダルを獲得する山下泰裕にこそ敗れたが3位。挫折を乗り越えての五輪切符に、「出ればメダルを取るだけの自信はあった」。
 ボイコットのショックは大きかったが、国の施策に公務員が異論を唱えるのはご法度。勤務先の愛知県警は「コメントは一切出すな」と取材規制をしていたらしい。河原さんは無念を表現することもできなかった。
 81年限りで引退。「相手と組んだときに恐怖心が出てきた。次の五輪まではとても持たないと思った」と言う。決断に悔いはない。ただ、東京五輪の延期で岐路に立つ選手の姿にはこう思う。
 「モスクワのときと違って五輪がなくなったわけではない。体力は有限だが、気力は無限。諦めなければ夢はかなえられる」
 太田さんは早大の教授として、河原さんは愛知県柔道連盟の会長として、今も若者の成長を手助けしている。幻のモスクワは今も2人の胸の内にある。
<モスクワ五輪のボイコット問題> 1979年にソ連がアフガニスタンに軍事侵攻。東西冷戦下で対立していた米国のカーター大統領が西側諸国に五輪ボイコットを呼び掛けた。日本では柔道の山下泰裕、レスリングの高田裕司ら出場を願う選手らの訴えもむなしく、日本オリンピック委員会(JOC)が不参加を決定。同じ西側でも英国、フランスなどの選手は国旗を用いないなどの条件で参加した。
<太田章(おおた・あきら)> 1957(昭和32)年4月8日生まれ。秋田市出身の62歳。秋田商、早大出。レスリング男子フリースタイル82キロ級で1980年モスクワ五輪代表に選出。90キロ級に階級を上げて84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪で2大会連続銀メダル。92年バルセロナ五輪は3回戦で敗れた。96年アトランタ五輪も目指したが、国内予選で敗れた。
<河原月夫(かわはら・つきお)> 1949(昭和24)年6月8日生まれ。愛知県刈谷市出身の70歳。町道場を営む父の影響で幼少時に柔道を始め、中京商(現中京大中京)では中量級でインターハイ優勝。明大3年時には体重無差別の全日本選手権で2位に入った。愛知県警へ進み、1980年モスクワ五輪で95キロ級代表に選出。81年に現役を退いた。
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