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1988年ソウル大会メダリストはコロナと闘う病院に勤務…東京で始まったパラリンピックが帰ってくる【満薗文博コラム】

2021年8月24日 15時29分

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3色のカラースモークを出して東京スカイツリー上空を飛行する航空自衛隊の「ブルーインパルス」

3色のカラースモークを出して東京スカイツリー上空を飛行する航空自衛隊の「ブルーインパルス」

 コロナ禍で1年遅れの東京パラリンピック開幕日。だが、東京は24日、どんより曇り空である。空にマークを描き、大会の開幕を告げる航空自衛隊ブルーインパルスの上空飛来を待っていると、ふと、1人の男が思い浮かんだ。
 彼の名は新川誠。私の従弟である。前回の2016年リオ五輪・パラリンピックが終わると、大阪で理学療法士として働く彼に電話した。実に数十年ぶりの会話だった。兄の「僕らの従弟にメダリストがいるらしい」というひと言がきっかけだった。その奇遇を、当時の東京新聞・中日新聞のコラム「スポーツひと・とき」に書いた。もう5年前の話である。
 メダリストになったのは事実だった。1988年ソウル・パラリンピックの柔道60キロ級で、当時33歳の誠は銀メダルを獲得していた。彼は「柔道競技は、あのソウル大会から正式競技になったのです。金メダルは成りませんでしたが」と話した。そして、付け加えた。「あのころのパラリンピックは、まだまだ認知度が低く、私自身も、メダリストになったという実感がとぼしかった」という。だから、親戚や周囲にも多くが語られることもなく時が流れていたのだった。
 実は私は、その直前まで行われていたソウル・オリンピックを取材しながら、多くの取材陣がそうであったように、パラリンピックの開幕に背を向けるように帰国の途に就いていたのだった。
 そもそも、パラリンピックの正式な始まりは、1964年東京オリンピックの直後に行われた、東京パラリンピックが起源とされる。そのことを知っている人も多くはないだろう。
 目に不自由を抱える誠は、理学療法士の道に進み、総合病院で勤務しながら、こよなくスポーツを愛する一男二女の父である。彼の職種とは直接関係ないが、勤務する病院には、軽症のコロナ患者も入院しているという。「みんな元気にスポーツを楽しめる日が来ることを願っています」と、65歳になった彼は言った。
 やがて、雲が低く垂れ込めた東京の空に6機のブルーインパルスが現れ、赤・青・緑のパラリンピック・カラーで「スリーアギトス」を描いた。
 (スポーツジャーナリスト)
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