本文へ移動

“競馬学校卒女性第1号”梅内栄子助手「馬が好きだから」一筋30年超「まだまだ、乗りますよ」【競馬の話をしよう】

2021年8月14日 06時00分

このエントリーをはてなブックマークに追加
梅内栄子助手

梅内栄子助手

 競馬の世界を掘り下げる新企画「競馬の話をしよう。」。第6回は今年の上半期に担当馬オーヴェルニュが重賞2勝と活躍、自身初となるサラブレッド重賞勝ちを果たした栗東・西村厩舎の梅内栄子助手=(51)=を直撃した。競馬学校卒女性第1号。関係者から“頼れる姉御”と慕われる存在に、この道一筋30年超の歩みを語ってもらった。(聞き手・高橋知子)
―オーヴェルニュで東海S、平安Sと重賞勝ち。重賞勝ちはシゲルホームラン以来26年ぶり、サラブレッド重賞は初勝利だった
 梅内助手「長年の夢をオーヴェルニュがかなえてくれました。ゴール前は鳥肌が立って。口から心臓が飛び出しそうで。同じレースに出走した他馬の担当者の方々から『おめでとう』と声を掛けてもらい、翌週は今までお話したことがない方からも調教中に『おめでとうございます』と祝福していただき、めっちゃうれしかったです。家に帰ると家族がクラッカーを鳴らしてお祝いしてくれて。家族孝行ができました」
 ―オーヴェルニュはどんな馬か
 「おとなしくて手がかからず、無駄なことはしない賢さがあります。2年前の8月、1勝クラスから担当になって初めて見た時は線の細い感じで、調教に乗ると口向きが悪いなと。ちょっと乗り難しい馬でしたね。調教で矯正していくうちに、それが徐々に良くなっていきました。繊細で輸送で体が減ってしまうのですが、カイバを食べてくれている分には問題ないんです。それがフェブラリーSの時は、輸送後全くカイバを食べなくて。帝王賞の後は放牧に出て英気を養っています。今年の大目標はチャンピオンズC。12月5日には良い結果が出せるように頑張ります」
 ―梅内助手の祖父・慶蔵さん、父・忍さんがともに調教師。競馬一家に育った。この世界に入るのは自然な流れだったのか
 「祖父と一緒に競馬場にはよく行きましたが、競馬というとお酒を飲んで赤ペンを耳に挟んだオジサンがいるというイメージ(笑)。あまり好きではなかったですね。でも、物心ついた時から馬は好きでした。小学校の帰りに祖父の厩舎に寄って馬をなでて。祖父と北海道の牧場を巡ったことも。乗馬を習いたいと言った時、両親は反対でしたが祖父がやらせてやれと言ってくれて。小学5年から栗東トレセンのスポーツ少年団で乗馬を始めました。小学校の卒業文集に将来は調教助手になると。馬の世話が好きだったんです。乗るよりも。当時、伊藤雄二元調教師の娘さんがトレセンで働いていて、あんな風になりたいって言っていました」
 ―競馬学校を経て、トレセンで働くことになった
 「競馬学校に女子寮ができて、私が1期生。同期に女性はいません。当時は受け入れ厩舎が決まっていないと学校に入れず、祖父が既に亡くなっていてあてがなかったところ、当時父が助手として所属していた加藤敬二調教師が受け入れてくれました」
 ―翌年に父・忍さんが開業し父娘の二人三脚が始まった
 「(父を)ぼろくそに言うことが多かったですね(笑)。父をあまり立ててあげられませんでした。従業員さん側に立って意見していたので。父と従業員さんの間のワンクッション役で。馬主さんの間でも同じ。父は口下手で不器用なんで。母は担当馬が活躍しても娘だからと言われるし、活躍しなければ娘だから仕事しないと言われる、どうせだったらいい馬を担当させてと父に言ってました(笑)。馬に関しては、父から特にああしろこうしろとは言われなかったです」
 ―仕事がつらい、辞めたいと思った事は
 「一度だけ。担当馬を競走中の事故で亡くした時に思いました。マヤノメイゲツという馬です。直線に向いて、これは勝てる!と思った瞬間ガクッと崩れて。連闘だったのですが、連闘がいけなかったのかと自分を責めて。涙ってこんなに出るんだってほど泣きました。そんな自分を見て、周りがものすごく心配して。そこを乗り越えられたのはやはり馬が好きだったから。馬が好きという思いで続けて来られました」
 ―梅内師が2015年に引退。開業したての西村厩舎に移る
 「新しい環境には不安もありました。梅内厩舎が昭和の厩舎だったんで(笑)。今どきの仕事の流れに慣れるのに、特に最初の1カ月は目まぐるしかったです。自分の担当馬で3年目まで勝てなくて。それがつらかったですね。西村先生は従業員の意見を聞いてそれを調教に反映させてくれますし、任せてくださる部分も多い。やりがいがあります」
 ―自分で厩舎を持とうという思いはなかったのか
 「先輩方に面倒を見ていただき調教師試験の勉強を続けた時期もありました。実際受験もしましたが、自分に根性がなかったですね。父は後を継いでほしいような、自分がした苦労をさせたくないような。今は、自分は助手で良かったと思っています」
 ―馬に接する上でのモットー、やりがいは
 「上下関係のしつけと、馬をハッピーでいさせてあげること。騎手に乗りやすい馬と言われた時はうれしいですね。それが仕事なので。あとは、馬が無事にレースを終えて帰ってくること。担当馬の出走時には、無事に帰ってきて、という気持ちを込めてたてがみを編みます。馬は競馬場で走ってる時が一番輝いている時だから、きれいにしてあげたいので」
 ―同世代の助手では、体力的な問題で調教騎乗を辞めて厩務員になる人もいるが、いつまで乗りたいか
 「みんな言います。いつまで乗れるか。定年まで乗るんやろ(笑)って、からかわれる。幸い後遺症が残るような大きなケガがなく、丈夫な体なので。まだまだ、乗りますよ」
  梅内助手にとって2019年9月21日は思い出深い一日となった。阪神3Rでソウルトレイン、同7Rをオーヴェルニュが勝ち、競馬人生で初めて担当馬が1日2勝をマークした。
亡き父が後押し…人生初の1日2勝
 実は直前の9月10日に父・忍さんが75歳で死去。15年の調教師引退後は、西村厩舎と弟子の植野騎手の騎乗馬を新聞でチェックし、競馬中継を毎週楽しみに見ていたという。「父はホントに競馬好きでした。趣味らしい趣味はなく仕事人間だったし。『旅行に行ったり、これから人生楽しみや~』って言ってたら、引退後5年で…」と梅内助手。結局、父の訃報は公表せず「静かに見送りたい」と家族葬で弔った。その直後の1日2勝に「父の後押しを強く感じた」という。
母と2人で馬運車に乗り、出張馬房の部屋に泊まる
 梅内助手が担当した馬の初勝利は1989年7月30日小倉6R・3歳未勝利のレヂナハルシオンだったが、晴れ舞台までの道のりは簡単ではなかった。小倉競馬場に女子寮がなかったことで「できれば出張に行かせないでほしい」とJRAから要請があったが、加藤敬師が「栄子ちゃんの担当馬だから行かせる」と言って出張できたという。
 「JRAの方でも女性をどう扱ったら良いか分からなかったのだと思います。今ではあり得ない話ですが、母と馬運車に乗り小倉へ行き、空いている出張馬房の部屋に2人で泊まったんですよ(笑)。おかげで自分でパドックを引くことができました」と梅内助手は懐かしそうに振り返る。
 前走は14番人気の2着だったが、そのときの鞍上・安田隆行現調教師から「前走はフロックじゃないから」とパドックで言われたという。「ちょうど(調教師の)父も出張できていたので、口取りは両親と一緒に。忘れられない初勝利です」。口取り写真で記念のテレホンカードも作製した。
◆栗東の女性助手は6人 厩舎スタッフには馬に乗って調教をつけたり、世話をする助手と、馬の世話をする厩務員がいるが、栗東所属の女性助手は6月1日現在で梅内助手を含めて6人。女性厩務員は5人で、約1200人いる栗東のスタッフの中で女性は1%未満となっている。また、女性の助手と厩務員ら約20人がいる美浦所属を含めると、東西合わせて約30人の女性が働いている。
 ▼梅内栄子(うめうち・えいこ) 1970年1月5日生まれ、滋賀県出身の51歳。1988年5月に競馬学校入学、その3カ月後栗東・加藤敬二厩舎で持ち乗り助手となる。初勝利は1989年7月30日小倉6R3歳未勝利戦のレヂナハルシオン。同年11月から梅内忍厩舎で助手となり、1993年~95年にかけて担当したアラブのシゲルホームランが重賞のセイユウ記念を3連覇。2015年3月から栗東・西村厩舎へ。趣味はゴルフ、カラオケ。馬はOKなのに、なぜか犬猫は怖くて触れない。誕生日の1月5日に開催される「金杯」を勝つことが、トレセンに入った時からの夢。

関連キーワード

おすすめ情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ