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原爆の怖さ語り継ぐ 広島で胎内被爆 大野の山岡さん 核廃絶目指し活動

2021年8月13日 05時03分 (8月13日 09時46分更新)

「被爆者の苦しみを伝えられるのは日本しかない」と話し、核廃絶に向け政府のリーダーシップを願う山岡さん=大野市内の喫茶店で


 「生まれたときから被爆者です」。母親の胎内にいる状態で一九四五(昭和二十)年八月六日、広島市に落とされた原子爆弾で被爆した大野市の男性が、胎内被爆者であることを明かしながら県内で核廃絶活動をしている。十五日の終戦の日を前に、「被爆者の思い、原爆の怖さを世界に伝えられるのは被爆国日本だけ」と政府に核廃絶を目指して今年発効した国連の核兵器禁止条約への署名・批准と、世界のリーダーシップを取ることを訴える。 (山内道朗)
 男性は県内在住の被爆者団体「県被団協『すいせん会』」会長の山岡直文さん(75)。爆心地にいた次兄正男さん=当時十三歳=が被害を受けたことを知った両親と長兄が爆心地二キロ以内に入り、母親のおなかにいた山岡さんも被爆した。世界で初めて投下された原爆であり「どんな爆弾か分かっていないのは当然。兄が心配で爆心地に向かった」と話す。
 被爆者という肩書は、その後も山岡さんについて回った。二十九歳のときに妻の親族がいる大野市に移住。「新しい就職先で被爆者は子どもができない、肢体の不自由な子どもが生まれると言われた」と広島以外で被爆者がどのように見られているかを感じ、言葉が心に刺さった。こうした風潮から、被爆者であることを隠し続けた女性は多いという。
 爆心地で被爆した両親と長兄は原爆症に悩まされることなく、いずれも八十歳を超えて天寿を全うし、山岡さんもこれまで体調不良は起きていない。ただ、山岡さんは同じ胎内被爆者の全国組織で知り合った女性のエピソードを明かす。「がんの手術をして摘出した後、別の臓器でがんが発症する。転移じゃなくてすべて新しいがん」と話し、不安になることもある。
 戦後七十五年が過ぎ、被爆者は減り、高齢化している。山岡さんが把握しているだけでも県内では四十人ほどで、最年少は山岡さんだ。県内での記憶の風化も感じる。「関係団体と協力して核廃絶の署名をお願いすると『署名で核兵器はなくなるのか』『意味はあるのか』と言われることがある。対岸の火事のような感じを受ける」とこぼす。
 記憶の風化を防ぐために山岡さんが力を入れるのが語り部活動だ。「戦争や原爆がいかに恐ろしいかを知ってもらい、この世から無くすためにありのままを話す」と山岡さん。真っ黒に焦げた死体が一帯に広がっていた爆心地など、父親らから聞いた当時の惨状や被爆者としての山岡さんの人生を若者たちに伝える。「被爆者からの話は重い。聞いた話を語り継いでほしい」と願う。
 「原爆は憎い」と山岡さん。期待するのが核兵器を包括的に法的禁止にする核兵器禁止条約だ。多くの国・地域が署名・批准する中、核保有国や日本のように「核の傘」にいる国は署名をしていない。「被爆者の思い、原爆への憎しみ、すべてを伝えられるのは、日本しかない。外交上の問題があるかもしれないが、リーダーシップを取ってほしい」と訴える。

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