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<わたしの8月15日> (1)名古屋市昭和区 岩田文男さん(95)

2021年8月10日 05時00分 (9月1日 11時37分更新)
出征前に書いた遺書を手に、戦火をくぐり抜けた体験を語る岩田さん=名古屋市昭和区で

出征前に書いた遺書を手に、戦火をくぐり抜けた体験を語る岩田さん=名古屋市昭和区で

  • 出征前に書いた遺書を手に、戦火をくぐり抜けた体験を語る岩田さん=名古屋市昭和区で
  • 岩田さんの遺書
 運命の一日を迎えた夏があった。一九四五(昭和二十)年八月十五日。日本の敗戦によって、時代の大きな転換点が訪れた。その日の記憶を残す名古屋、尾張、知多地域の戦争体験者に、二十代の記者たちが、当時の心情、平和への思いを聞いた。
 カンカン照りの暑い日だった。四五年八月十五日正午。広島県大竹町(現大竹市)の大竹海兵団の主計兵だった名古屋市昭和区の岩田文男さん(95)は、同海兵団の講堂にいた。出征してから二カ月、「アメリカ兵を殺す」訓練を繰り返していたが、「重大な放送がある」と二、三百人が整列していた。
 ラジオから聞こえる昭和天皇の声に耳を傾けるが、難しい言葉と雑音が多く、何を言っているか分からない。「もっと国のために頑張ってくれと陛下が励ましているのだと思った」
 敗戦を知ったのは、半日後。将校は「申し訳ない。腹を切って死ぬ」と軍刀を持ち出した。命が助かった喜びはなく、悔しさと失意の中で迎えた終戦だった。
 岩田さんは銀行員だった四四年、「少年警察官」の一期生に合格。当時、愛知県警第一警備隊の巡査として、事件の捜査や要人の警護に当たった。
 この年の暮れごろ、名古屋での空襲は激しさを増していた。爆...

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