(8)「ありがとう」の価値観

2019年7月24日 02時00分 (5月27日 03時54分更新) 会員限定

高校時代の運動会。シートに横になって、応援や出番待ちをしていた

 私には子どものころ、大嫌いな言葉があった。「ありがとう」だ。ひねくれ者と思われそうなので、弁解しておきたいのだが、私なりの理由がある。
 私は小学一年生から高校三年生まで、名古屋市内の特別支援学校に通った。特別支援学校は私と同じように体に障害のある子どもたちが通学し、共に学び育つ場所だ。私はその中でも特に障害が重かった。トイレ、給食、教室の移動…。授業だけではなく、日常動作のすべてにおいて、先生のサポートが必要だった。私は子どもながらに、心が重かった。
 別に誰かに手伝ってもらうことが嫌だったわけではない。障害児として生まれたことを悔やんでいたわけでもない。ただ、毎回必ずやってもらったことに対して、お礼を言わなければならない重圧が嫌でたまらなかった。それも一日二、三回ではなく、私の場合は誰よりも手伝ってもらったので、その数は数百回というレベルだった。
 学校の先生と言えば、子どもにとっては絶対的な存在だ。しかも特別支援学校の先生と障害児との間には、普通の学校では考えられないほど絶対的な強者と弱者の壁がある。
 先生たちは基本的に「お礼を言わないと介助をしない」というスタンス。そして、お礼を言...

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