本文へ移動

離れて強まるヒロシマの思いを生徒へ 広島出身、東郷の男性

2021年8月6日 16時00分 (8月6日 16時00分更新)
「原爆の子の像」の周りに並ぶ折り鶴に見入る原田貴之さん(中央)と家族=6日朝、広島市中区の平和記念公園で

「原爆の子の像」の周りに並ぶ折り鶴に見入る原田貴之さん(中央)と家族=6日朝、広島市中区の平和記念公園で

 広島の原爆の日の六日、名古屋市内で英語学校を開く原田貴之さん(42)=愛知県東郷町、広島県福山市出身=が広島市の平和記念公園を訪れ、犠牲者に祈りをささげた。子どものころは平和教育が苦手だったが、広島から遠く離れるにつれ、「平和のことを深く考えるようになった」という。
 広島では平和教育が日常的に行われている。だが、小学一年の八月六日の登校日に観賞したアニメ「はだしのゲン」は恐ろしかった。校外学習で訪れた原爆資料館に抱いたイメージも、「怖い」。原爆の話題は何となく避けたかった。
 ただ、高校の日本史教諭に伝えられたひと言はずっと頭に残っている。「原爆のことを語っていくんは広島の人間の義務じゃけえの」。その言葉が重みを持つようになったのは、二十代後半になってから。
 転機は海外経験。大学卒業後、英語教諭を経て二十八歳でオーストラリアへ語学留学。アジア各国出身の友人と交流したが、ヒロシマ、ナガサキの原爆被害はほとんど知らなかった。二年前、米国務省の人材交流プログラムで訪れたスミソニアン博物館(首都ワシントン)では、原爆に関する展示の表現は軍国主義・日本への「最後の一撃」。これもショックだった。
 ...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

関連キーワード

おすすめ情報