ノムさんの采配で幻に終わった「投手・イチローVS打者・松井」(96年球宴第2戦)…球界に賛否両論が渦巻く
2020年2月12日 20時24分
オールスターは真剣勝負なのかファンサービス重視のお祭りなのか。長いプロ野球の歴史の中で、野村克也さんが一石を投じた「事件」があった。
1996年7月21日、オールスターゲームの第2戦(東京ドーム)。その出来事は9回2死の場面で起きた。次の打者は巨人の松井秀喜。打席に向かおうとした瞬間に、パを率いていたオリックス・仰木彬監督が動く。一塁ベンチを出て突然の投手交代。場内アナウンスで「ピッチャー、イチロー」がコールされた。東京ドームはヤンヤの大歓声。その中をライトにいたイチローがマウンドに向かった。
これに激高したのがセを率いていたヤクルト・野村克也監督だ。まずはベンチを出て松井に歩み寄った。野村監督は「おまえ、嫌だろう?」と言葉をかけ、松井は「僕は、どっちでもいいですよ」と答えたという。
ただ、野村監督は松井をベンチに下げ、代打に当時はヤクルトの守護神だった高津を起用。東京ドームは落胆の声を含めて異様な空気が流れ始めた。イチローは淡々と投げ込み、最後は遊ゴロで試合終了となった。
試合後も怒り心頭の野村監督は「名監督と言われる人が、人の痛みを分からんようでは困る」と仰木監督を一刀両断した。松井はセ・リーグを代表する顔というべき存在。打っても当然、抑えられれば赤っ恥の状況になりかねい。野村監督は深く傷つく可能性すらあった松井を守ったわけだ。と同時に、スター選手が集うオールスターの舞台で真剣勝負をしない演出が許せなかった。
一方、仰木監督の考えはオールスターはお祭りという位置づけだった。投手起用に関して「イチローの投手としての才能をファンに見てもらいたかった」と説明。真夏の祭典でこそ実現できる「投手イチローVS打者松井」をファンに提供したかったのだろう。
この「事件」はその後、オールスターは真剣勝負かファンサービスか。球界を取り巻くすべての関係者の間で賛否両論が渦巻いた。永遠のテーマとも言われたが、2005年からは交流戦スタート。セパの対決が珍しくなくなった昨今は、ファンサービスの色が濃いオールスターともいえるが…。
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