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【富山】向 亡き祖母にメダル 喜ぶ顔 五輪への力に

2021年8月1日 05時00分 (8月1日 10時47分更新)
 個人戦で逃したメダルを手に入れた。柔道混合団体で銀メダルだった向翔一郎は、いつも見守ってくれていた「大好きなばあちゃん」へ、五輪の表彰台に立った報告をする。
 二〇一五年六月、祖父・定義さんが亡くなり、祖母・和香子さんはしばらく憔悴(しょうすい)しきっていた。唯一の楽しみは向の試合。結果を残すと知人から祖母への連絡が増え、どんどん元気になっていく。「ばあちゃんが『うれしかった』と言ってくれて、オレが五輪に出たら、より長生きしてくれるような。五輪に出たいという思いが強くなった」
 以降、全日本選抜体重別選手権や国際大会を制し、男子90キロ級の一番手に躍り出た。祖母から「五輪に出てほしい」と言われたことはない。むしろ「柔道が強くて五輪に出る孫ではなく、純粋に向翔一郎を愛してくれている」。
 二〇一九年夏、富山に帰った際には和香子さんと一緒に出かけた。二人で並んで歩く。向にとって、心地良い時間だった。その後の世界選手権で銀メダルを獲得し、報告会で祝ってもらった。祖母のうれしそうな顔を目にし、思わず抱きかかえた。
 だが、同年十二月十九日、五輪代表に決まる前、和香子さんは旅立った。七十八歳だった。駆けつけた病院で「一人にして」と両親に告げた。霊安室で祖母と二人きり。三十分近く一緒に過ごした。父吉嗣さんは「祖父が亡くなった時もそうだけど、そういうことがあって一皮むける。そのたびに強くなっていく」。
 迎えた東京五輪、個人戦ではメダルを手にすることはできなかったが、混合団体では大事な働きをした。初戦のドイツ戦、個人戦で優勝した阿部詩(日体大)、大野将平(旭化成)が相次いで敗れ、日本の1勝2敗で出番が回ってきた。自らが負けると後がなくなる状況で、背負い投げで技ありを奪って勝利。悪くなりかけた流れを取り戻す値千金の活躍をした。準決勝でも勝って役割を果たしたが、決勝では敗れた。「個人戦で思うような結果を残せなかったし、団体では少しでもみんなのために戦いたかった」と最後は悔しそうな表情で、五輪での戦いを締めくくった。
 祖母を元気づけるため、より強くなった。五輪でのメダル獲得への動機づけになった。目指していた高みにはたどり着けなかったが、「大好きなばあちゃん」には今回の結果を報告し、さらなる活躍を誓う。 (森合正範、兼村優希)

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