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ロッテ佐々木朗、津波で旅立った家族に「活躍してるところを見せたいです」 プロになって初めての3.11「亡くなった人たちの分も一生懸命生きていかないといけない」

2020年3月11日 19時10分

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黙とうをする佐々木朗(中央)らロッテナイン

黙とうをする佐々木朗(中央)らロッテナイン

 ロッテドラフト1位の佐々木朗希投手(18)=岩手・大船渡高=が11日、ZOZOマリンで取材に応じ、9年前に経験した東日本大震災への思いを語った。プロ野球選手となって初めて迎える「3・11」にいっそうの活躍を誓った。
 消せない過去に背を向けない。18歳が紡ぎ出す言葉には決意が現れていた。プロ野球選手という肩書を背負い、初めて迎えた「3・11」。佐々木朗が思いを口にした。
 「(東日本大震災で)いろんなことを学びました。たくさんのものを失って改めて気づいたことがたくさんある。後悔しないように生きたい」
 9年前は岩手県陸前高田市に住む小学3年生。激しい揺れ。津波から身を守るため高台へと必死に避難し、自身は無事だったが、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人に。自宅は津波に流され老人ホームでの避難所生活を余儀なくされ学年が上がると母方の親族がいる大船渡市に引っ越した。生まれ育った街、家族、そして日常を奪われた記憶。9歳の少年には酷だったはずだ。
 だが佐々木朗は強い。「今あることは当たり前じゃない。今という時間を昔よりも大切にするようになった。亡くなった人たちの分も一生懸命生きていかないといけない。(天国で見守る家族に)活躍してるところを見せたいです」。きっぱりと言った。
 終息が見えない新型コロナウイルスの影響で各地のイベントが軒並み取りやめ。プロ野球も開幕が延期になり、震災の追悼式も中止。「こうしてプロ野球選手として初めて迎えた日ですけど、立場が変わってこれからいろいろと発信してかなければいけない」。経験した1人として風化させてはいけないという思いを口にした。
 活躍する日は遠くないかもしれない。10日にZOZOマリンのブルペンで捕手を座らせた状態での投球練習。「状態もよかったと思います」とうなずいた。13日からの中日とのオープン戦3連戦も同行。順調ならブルペンで変化球を解禁することになりそうだ。決意を新たにした9度目の「3・11」。思いを背負って佐々木朗は前に進む。

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