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木曽義昌、家臣に宛てた命令書 大桑・池口寺で確認

2021年7月29日 05時00分 (7月29日 05時00分更新)
木曽義昌の命令書について説明する田中さん=大桑村歴史民俗資料館で

木曽義昌の命令書について説明する田中さん=大桑村歴史民俗資料館で

 木曽谷を拠点にした戦国武将、木曽義昌が家臣に宛てた命令書(宛行状)が、大桑村殿の池口寺で確認された。義昌が出家後に名乗った「玄徹」と花押が記された貴重な古文書。県が中心となって一九六九(昭和四十四)年までにまとめた信濃史料に収録されていたが、所在不明だったという。県立歴史館に保管される。 (生田貴士)
 命令書はA3判ほどの大きさ。一五八二(天正十)年七月に家臣の小野内記助に宛てた。筑摩郡の桐原と林郷(現松本市内)を所領として与えるので、戦支度をして出陣せよとの内容。義昌はこの地域の実行支配を失い抗争中の小笠原氏の所領で、勝利したら与えるという空手形でもあるという。
 義昌は武田家家臣として木曽谷を領有し、その後は織田信長について筑摩郡と安曇郡も与えられた。しかし二カ月後に本能寺の変で信長が討たれ、義昌も深志城から退いた。命令書はその翌月に出された。
 命令書は、池口寺の先々代住職で大桑村長も務めた小野壮蔵さんが信濃史料に提供した。五年ほど前、現住職で壮蔵さんのおいの西沢正樹さん(68)が問い合わせを受けた際は所在が分からなかった。五月ごろ壮蔵さんの書斎を整理していて、小野家文書と書かれた...

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