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高度な対応力の水谷隼と多種多彩な球を繰り出す伊藤美誠…強さのルーツは個性を尊ぶヤマハスタイルがあった【東京五輪】

2021年7月27日 06時00分

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表彰式で金メダルを掛け合う水谷隼(左)と伊藤美誠

表彰式で金メダルを掛け合う水谷隼(左)と伊藤美誠

 東京五輪の卓球・混合ダブルスで日本卓球界初の五輪金メダルを獲得した水谷隼(32)=木下グループ、伊藤美誠(20)=スターツ=の幼なじみペアは、浜松市を拠点に活動した実業団の名門「ヤマハ卓球部」(1997年に活動休止)のスタイルを脈々と受け継いでいる。
 「型にはまらない隼と美誠のプレーを見ていると、自由奔放なプレーを許容し、個性を伸ばすヤマハの指導が2人の成長の一翼を担ったと感じる」。そう語るのはヤマハ卓球部の監督を最後に務め、今は「ヤマハクラブ」の監督として小中高生を指導する増田浩さん(59)だ。増田さんは2人の金メダルに「準々決勝で泣いて、決勝も。最後はお互いを信じ、自分を信じ、最高のプレーをしていたので負ける気がしなかった。みんなに勇気を与えてくれる試合だった」と喜びもひとしおだ。
 水谷と伊藤はともに静岡県磐田市出身。水谷は小学2年からドイツへ留学する中学2年まで、伊藤は小学高学年に2年ほど隣町にあるヤマハ卓球部の練習施設に通った。
 同部は「カミソリスマッシュ」の異名で恐れられた元世界王者の小野誠治さん(65)ら国内トップクラスの選手が在籍する一方で、OBは近郊の高校に出向き指導した。全体練習後の自主練には高校生を受け入れ、一緒に汗を流す開放的なチームだった。活動休止以降もOBと高校生らの練習は続き、水谷と伊藤は小学時代から質の高い球を打つ機会に恵まれ、非凡な才能が磨かれた。
 「元々、子どもを教えるクラブとして存在したわけではないので、決まった指導方針はない。うまくなりたい人たちが集まり、同じ目線で切磋琢磨(せっさたくま)していた。全国大会で上位を狙う高校生もいたけど僕らに教えるような感覚はなく、試合形式の練習が中心。だからいろんな戦型、いろんな球に合わせる技術が磨かれる」(増田さん)
 ヤマハクラブは今も昔も「来る者は拒まず。強くなりたい子は誰でも受け入れる方針」。コロナ禍になる前は、聾(ろう)学校の生徒も通っていた。「うちはああしろ、こうしろと言わないので、レベルの違いはあれ個性豊かな選手が輩出する」と増田さん。
 どんな球でも返す水谷の高度な対応力と多種多彩な球を繰り出す伊藤の攻撃力。中国ペアを翻弄(ほんろう)した2人の変幻自在なプレーのルーツには、子どもを子ども扱いしない個性を尊ぶヤマハスタイルがあった。
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