栗山監督“恩師”の思い出は何時間でも語れる…「『関根監督』の存在がなければ、現在の私はいない」
2020年4月9日 19時48分
プロ野球の近鉄で投手、野手として活躍し、大洋(現DeNA)とヤクルトでは監督を務めた関根潤三(せきね・じゅんぞう)さんが9日午前9時45分、老衰のため東京都内の病院で死去した。93歳。東京都出身。
▽日本ハム・栗山監督「関根さんとの思い出は何時間でも語れるほどお世話になりました。『関根監督』の存在がなければ、現在の私はいないと思っています。大した選手ではありませんでしたが、起用し続けていただきました。人を育てることの意味、人を育てるとはどういうことか、身をもって教わりました。本当の恩人でした」
▽同・荒木2軍監督「一見、優しそうな顔立ちをしていますが、とにかく厳しい方でした。ただ、ミスをしてもチャンスを与えてくれる監督でもありました。1992年、野村監督率いるヤクルトでリーグ優勝できたことは、関根監督が礎を築いてくれた賜物(たまもの)だと思います。関根監督の下でプレーできたことは私の財産です」
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