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女子にも負けた阿部一二三 伝説は14年秋に始まった「20年に一人の逸材」

2021年7月25日 20時07分

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男子66キロ級で優勝し、ガッツポーズする阿部一二三

男子66キロ級で優勝し、ガッツポーズする阿部一二三

◇25日 東京五輪 柔道男子66キロ級(日本武道館)
 阿部一二三(23)=パーク24=が金メダルを獲得し、女子52キロ級を制した妹の詩(21)=日体大=との「きょうだい同日金メダル」を成し遂げた。男子66キロ級での日本勢の金メダルは、2008年北京五輪の内柴正人以来3大会ぶり。
 伝説の始まりは2014年秋の講道館杯だった。兵庫・神港学園高2年だった一二三のシニア大会デビュー戦。信川厚総監督(56)は「実は補食用のゼリーを1試合分しか用意していなかった。勝てないと思ったので」と苦笑いする。実際は初戦敗退どころか、史上最年少での優勝。その名が一気にとどろいた。
 天賦の才に恵まれていたわけではない。小学時代は同学年の女子にも負けた。ただ、柔道への姿勢は非凡だった。幼いころに指導した兵庫少年こだま会の高田幸博代表(57)は「一二三は体重差が30キロある相手に投げられても、また向かっていく。逃げ回るような試合はしなかった」と振り返る。居残り練習は当たり前だった
 「強くなりたい。ただその思いだった」と一二三。担ぎ技は1日何百本と反復した。中学で全国優勝すると、名門校からの誘いを断り、地元の神港学園高へ進む。信川総監督は「阿部の減量のため、夏でもストーブをたいた。社会人相手の出稽古にもつれていった」。一二三を中心に練習を練る「阿部シフト」で磨かれた強さは、日本、そして世界を席巻した。
 1988年ソウル五輪銅メダリストで、日体大で一二三を指導した山本洋祐総監督(61)は「バランス、パワー、柔らかさ、一二三は全て持っている。過去には古賀稔彦選手がそうだった。20年に一人の選手です」。ソウルを皮切りに3大会連続で五輪に出場したレジェンドと一二三を重ね合わせた。
 古賀さんは東京五輪を前に、3月に世を去った。まるで手向けのようにメダルを手にした一二三が、名実ともに柔道界の新たな象徴となった。
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