本文へ移動

「じゃあ、これ挙げてみろよ」から始まった三宅宏実 21年間の二人三脚【満薗文博コラム】

2021年7月25日 06時00分

このエントリーをはてなブックマークに追加
スナッチの2回目で76キロに失敗した三宅宏実

スナッチの2回目で76キロに失敗した三宅宏実

 三・宅・宏・実―。「ね、3つのウ『冠』と読めるでしょう」と、父の義行さんが話してくれたのを思い出す。2012年ロンドン五輪を前にした時のことだった。
 義行さんは重量挙げのフェザー級(当時)で、1968年メキシコ五輪の銅メダリスト。義行さんの兄・義信さん、つまり宏実の伯父さんは、同じクラスで64年東京、68年メキシコ五輪を連覇し、60年ローマでは銀メダルに輝いたウエートリフティング界のレジェンドである。
 ここにメダリストが1人加わったら3冠である。女子重量挙げが五輪の正式種目になったのは2000年シドニー大会からである。中学3年、ピアノ好きだった宏実は、突然に目覚めて重量挙げの世界を歩き始めたのだった。才能はあっという間に開花する。04年アテネで9位、08年北京で4位。そして、12年ロンドンで銀メダル。「3つの冠」がそろうことになった。16年リオでは銅メダル。
 35歳の夏。心身を保って迎えた東京だった。宏実は、ジャークを3度失敗すると、静かにバーベルを置いた。15歳、少女の頃、埼玉県新座市の自宅の台所で「じゃあ、これ挙げてみろよ」の義行さんのひと言から始まった、21年間にわたる二人三脚の日々だった。
 バーベルに別れを告げたこの日も、東京国際フォーラムの会場で、コーチとして寄り添っていたのは75歳になった父の義行さんだった。
 三・宅・宏・実―。笑顔のすてきな女ヘラクレスだった。無観客の会場に代わって「ありがとう」とつぶやいてみる。(スポーツジャーナリスト)

関連キーワード

PR情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ