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「好きだから続けられた」苦難乗り越え五輪に バドミントン桃田

2021年7月23日 05時00分 (7月23日 05時01分更新)
公式練習で調整する桃田賢斗

公式練習で調整する桃田賢斗

 ここに至る道のりは誰より険しかった。男子シングルス代表の桃田賢斗(NTT東日本)。自らの過ちで前回の五輪を棒に振り、交通事故で大けがを負い、それでも続けたのは「バドミントンが好きだから」。昔から変わらない原点が、初の五輪にたどり着く力となった。
 1年半前。予期せぬ事故に見舞われたのは、マレーシアでの国際大会を制して帰りの空港に向かう道中だった。送迎車が交通事故を起こし、顔面裂傷や全身打撲を負う大けが。駆けつけた日本代表の朴柱奉監督に、もうろうとしながら尋ねた。「僕はまたバドミントンができますか」
 しばらくして右目の眼窩(がんか)底骨折も判明。「もう頑張ったからいいんじゃないか」と引退もよぎったが、ファンの励ましで持ちこたえた。その年の夏は、母校の富岡中学・高校の後身のふたば未来学園中・高(福島県)を訪問。一日中シャトルを打つ姿に、中学の斎藤亘監督は「中高生の時と変わらないな」と感じた。
 5年前も苦しかった。リオデジャネイロ五輪の直前に、違法カジノに出入りしていた問題が発覚。反社会的な施設との関わりは猛批判を受けた。「もちろん本人が悪い。でも、あそこまで20歳そこらの子をたたくか…」。小学校時代に指導した香川バドミントンスクールの吉川和孝代表は、連日のワイドショーを直視できなかった。
 間近で困難を見てきた人たちほど、口をそろえて言う。「自分だったらとっくに辞めている」。そして続ける。「続けてこられたのは、やっぱりバドミントンが好きだからでしょう」
 東日本大震災で富岡中・高が拠点を福島県猪苗代町に移していたころ。自主練習で使う小さな体育館で、桃田はいつも遊びながらバドミントンをしていた。冬は氷点下になる館内で、練習が休みの日も、チームメートを誘って。楽しいから羽根を打つ。26歳になった今も変わらない思いで、待ちに待ったコートに立つ。 (佐藤航)
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