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中日春秋

2021年7月23日 05時00分 (7月23日 05時01分更新)
 一九六四年の東京五輪で、製作された映画『東京オリンピック』は、こんな言葉とともに締めくくられる。<人類は4年ごとに夢をみる>。市川崑監督はのちに説明していた。「大きな戦争がない場合にはオリンピックは四年ごとにどこかの国で開催されている。夢ではないか。理想ではないか」と
▼映画で語られた「夢」。二回目の東京五輪の前夜に見れば、「理想」ではなく、はかないもの、見るだけで消えてしまうような「夢」の意味に思えてくる。大きな戦争はたしかにない。が、コロナ禍によって前回から四年後には開かれず、あるはずの高揚感も祝祭の雰囲気もない
▼理想に思えたものが、次々に消えてきた。見込んだ経済効果はもうない。開会式を中心とした五輪外交も当初ほど期待できない。なにより観客。「なし」が妥当であろうが、後手に回った政府のコロナ対策の結果に思える
▼大会の意義も見えなくなった。コロナ禍と直接関係ないはずの「アンダーコントロール」の言葉、復興五輪の理念、ついには「多様性と調和」の看板まで。いずれも失ってはならないものだ
▼開会式に先立って始まった競技を見れば、スポーツの力がまだ残っている。客席の歓声がないのが気の毒だが、ソフトボールの日本のメキシコとの熱戦。延長サヨナラ勝利に引き込まれた
▼五輪が開幕する。失われていない力が貴重である。

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