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<湖国の星たち 東京五輪の舞台へ> (5)桐生祥秀選手・陸上4×100メートルリレー=彦根出身

2021年7月23日 05時00分 (7月23日 05時00分更新)
昨年の日本選手権男子100メートル決勝で優勝した桐生選手(左から2人目)=2020年10月2日、デンカビッグスワンスタジアムで

昨年の日本選手権男子100メートル決勝で優勝した桐生選手(左から2人目)=2020年10月2日、デンカビッグスワンスタジアムで

  • 昨年の日本選手権男子100メートル決勝で優勝した桐生選手(左から2人目)=2020年10月2日、デンカビッグスワンスタジアムで
  • 中学生時代の桐生選手=億田さん提供
  • 桐生選手の活躍を願う億田さん=米原市顔戸の双葉中で
 二〇一七年、日本人で初めて10秒の壁を破った、彦根市出身の桐生祥秀選手(25)=日本生命=は、日本の短距離界をリードしてきた。その記録は周りにも大きな勇気を与え、後押しするかのように、日本人選手が次々に9秒台に到達。今では、四人が9秒台をたたき出した。
 個人種目での東京五輪を逃したものの、4×100メートルリレーの代表に入った。リオデジャネイロ大会で銀メダルを獲得した種目で、桐生選手にとっても、日本にとっても「お家芸」。それに、リレーは中学生の頃から大好きだ。
 小学生の頃はサッカー少年だったが、兄が陸上競技をしていた影響で、彦根南中学校では陸上部に入った。当時の恩師で米原市立双葉中教頭の億田明彦さん(53)は「入部した時は細身で、同級生には、もっと速い子もいた」と振り返る。
 坂道を登って負荷をかける練習を繰り返し、体が成長すると、才能が開花した。一年時は100メートルで13秒を切るのがやっと。二年の秋には、11秒25に成長。三年時には、当時の県内歴代トップの10秒87を記録した。億田さんは「足の回転が速く、野性的な感覚もあった」と強さを説く。
 成長した中学時代は、けがに泣かされた。「走れないことが苦しく、走っている仲間がうらやましかった」と当時の陸上競技の記録集につづっている。
 二年の冬には腰椎分離で三カ月間、コルセットを巻き、走ることができなかった。三年の全日本中学選手権では、リレーの準決勝で肉離れを起こした。
 翌日の個人100メートルは棄権したが、リレー決勝は「チームの記録を残したい」とテーピングを巻き、足を引きずりながら走り切った。仲間と一緒に走るリレーが好きだった。中学の練習の最後には、必ずリレーを走って、楽しそうにしていたという。
 五輪代表入りを懸けた六月の日本選手権は、右アキレス腱(けん)のけがの影響もあり、100メートルでは10秒28で五位に沈んだ。前年大会の覇者は「精彩を欠いた」とまで言われ、この種目での五輪を逃した。周りのレベルが高くなった証拠でもある。だが、この経過から、億田さんはかえって活躍を期待している。
 「彼は、けがを乗り越えるたびに強くなってきた。リレー一本に絞ったことで、実力が爆発するかもしれない」
 湖国の星たちが挑む東京五輪。きょう、開会式を迎える。 (柳昂介)
 =終わり

 きりゅう・よしひで 1995年、彦根市出身。彦根南中、洛南高、東洋大を経て、日本生命。2017年に日本人として初めて100メートルで10秒を切る9秒98を記録。前回のリオ五輪では100メートルと4×100メートルリレーに出場し、リレーで銀メダルを獲得した。


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