本心<46>

2019年10月23日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第四章 再開

 以前も引き受けたことのある仕事で、依頼人は、大変な富豪らしいが、礼儀正しい人物だった。
 時計に目を遣(や)って、僕は、四十三分間という、この電車に乗っている時間のことを考えた。下車後の僕は、乗車前の僕より、既に四十三分、死に接近しているのだった。実際には、通勤のストレスは、乗車時間以上に寿命を縮めているだろうが。
 それが、一日二回、数十年に亘(わた)って繰り返されるということ。……
 僕は生きる。しかし、生が結局のところ、決して後戻りの出来ない死への過程であるならば――漸近(ぜんきん)するにせよ、短絡するにせよ――、それは、僕は死ぬ、という言明と、一体、どう違うのだろうか? 生きることが、ただ、時間をかけて死ぬことの意味であるならば、僕たちには、どうして、「生きる」という言葉が必要なのだろうか?
 僕は、<ライフプラン>を起動して、<母>との連動の設定が、うまくいっているかどうかを確認した。既に<母>とは、一時間五十二分を過ごしているらしかった。
 時計を減算表示にした。8時25分過ぎ。デジタルの針が指している文字盤の数字は、12、11、10、9、……と、所謂(いわゆる)時計回りに一時間ずつ減ってゆくように記されている。機械式時計を模して、秒針までついているが、下には数字でも、「残り15時間34分16秒」と表示されている。それが、今日一日の残り時間なのだと、僕は今更のように不安な気持ちで見つめた。
 画面をメインページに切り替えると、野崎の助言を思い出した。
 僕は今、二十九歳と六十七日だった。寿命は、七十七歳と予想されていて、<残り 47年297日15時間31分34秒>と計算されている。その数字も、決して止まることなく、刻々と減り続けていく。――砂時計のように。ただし、受け止める底のない、決して上下を逆さにすることの出来ない作りの。僕の、僕自身からの、絶え間なく続く落剥(らくはく)。
 それでも、昨日からの寿命予測の変化に、僕は目を瞠(みは)った。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
※転載、複製を禁じます。

関連キーワード

PR情報