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<ユースク> 【町】読み方は「ちょう」「まち」どっち?

2021年7月19日 05時00分 (7月19日 05時00分更新)

 中日新聞の記事で菅首相が福島県浪江町(なみえまち)を「なみえちょう」と言い間違えたとありました。愛知県は「ちょう」が普通なので「まち」という読み方に驚きました。独自の決まりがあるのでしょうか。違いを知りたいです。(愛知県新城市、60歳パート、はらとこさん)

 東日本大震災に関する記事について、読者から疑問が寄せられました。愛知県出身の記者は自治体の町の呼び方は「ちょう」が当たり前と思っていましたが、思い返すと「まち」と読む場所に行ったことがあります。首相も間違える「難問」を東海テレビと調べてみました。(石井宏樹)

東は「まち」、西は「ちょう」多い

 はらとこさんが読んだのは3月13日付朝刊2面の「チェック 今週の菅首相」の記事。記事の中で「浪江町(なみえまち)を『なみえちょう』と言い間違え、訂正する場面もあった」と書かれている。
 そこで、ユースク取材班は東海テレビと全国の町の呼び方を一斉調査。自治体の基礎データをまとめた「令和2年版 全国市町村要覧」をもとに、全国743町の読み方を全て調べた。

「ちょう」「まち」分布図

 結果は「ちょう」「まち」分布図の通り。大まかに言うと北海道を除く東日本は「まち」が多く、西日本は「ちょう」が多い。九州は「ちょう」「まち」が混在している。東西の分岐点は石川県と福井県、長野県と岐阜県、静岡県と神奈川県の県境あたりにあると言えそうだ。

読み方にルールなし

 町の読み方にはルールがあるのだろうか。地方自治法には「地方公共団体の名称は、従来の名称による」と書かれているだけでそのほかの記述はない。「市町村名変遷辞典」(楠原佑介・責任編集)では「(町を)訓読するか音読するかの問題は、日本語を漢字で表記することに伴ういわば“宿命的課題”」とされ、「地元の慣用にゆだねられてきている」という。
 地名研究で知られる日本地図センター客員研究員の今尾恵介さん(61)に、東西でなぜ読み方が違うのか尋ねた。まず返ってきたのは「誰にも分からない難問です」という答えだった。
 今尾さんによると、現在の市町村制が施行されたのは1889(明治22)年で、江戸時代の「まち」と区別する意味で「ちょう」という呼び名が現れ始めたという。しかし、東日本に「まち」が残った理由は「江戸幕府のお膝元だったからと言われればそうなのかもしれないが…。なぜかは分からない」。
 今尾さんは東西で傾向が分かれた理由として、(1)明治や昭和の市町村合併の際に、周辺の読み方に合わせた(2)昔は県庁の指導力が強く、同じ県内で統一されたため、県境ではっきり分かれた−との可能性を推測してくれた。
 分布図のように東西で分かれることは分かったが、その理由は謎に包まれたまま。しかし、各県での読み方を細かく調べる中で三つの謎が浮上してきた。次はその謎に迫ってみたい。

【謎1】長野県最南端・阿南町 愛知の影響が濃厚?

 「ちょう」「まち」問題の東西の境目に接する長野県。最南端の阿南町は「あなんちょう」と読み、県内23町の中で唯一、「ちょう」と読む自治体だ。「まち」勢力の中で“孤軍奮闘”する理由を探った。
 地元の人が訪れる農産物直売所「あなん食彩館」で、町内に住む店員や客らに「阿南町はなぜ『ちょう』か」と尋ねた。ほとんどの人は唯一の「ちょう」と認識していたが、理由は誰も知らなかった。
 町役場を訪れると、総務課の奥田恵三係長が古い行政文書を見せてくれた。文書は「新町名の決定についてお知らせ」で、1957(昭和32)年の合併時に出された。そこには新町名がふりがなをつけて「阿南町(あなんちょう)」とはっきり記載されていた。奥田さんは「古い職員に聞いたが、当時、読み方の議論はなく自然に『ちょう』になった」という。
 勝野一成町長によると、主要産業である林業で、戦前から愛知県の技術者に指導を受けていたほか、遠州街道で愛知県豊根村、東栄町とのつながりが深かった。勝野町長は「(全てが『ちょう』の)愛知の影響が強かったため」と解説してくれた。
 しかし、長野県では「まち」意識も根強く、町民の読み方は両方が混在していた。町によると、従来は地元の郵便局も「阿南町(まち)郵便局」と呼ばれたのが、平成半ばに「ちょう」に改称されたという。奥田さんは「その頃から町役場から正式名称の『ちょう』を広める動きが出始め、次第に町民の意識も『ちょう』に統一されるようになった」と説明した。

【謎2】石川県能登町、宝達志水町 合併で「ちょう」誕生

 石川県では従来、全ての町を「まち」と読んだが、平成の大合併で「まち」同士が合併して「ちょう」が誕生した。ユースク取材班では、この不思議な現象を調べてみた。
 2005(平成17)年、能都町(のとまち)、内浦町(うちうらまち)、柳田村が合併して能登町(のとちょう)が生まれた。初代町長の持木一茂さん(65)に理由を尋ねると、「合併協議会でいったん能登町(まち)に決まったが、内浦町や柳田村から『発音が能都町と同じになる』と懸念が寄せられた」。そこで読み方を「ちょう」に変えることで「合併の不安」に折り合いをつけたという。
 同年には押水町(おしみずまち)と志雄町(しおまち)も合併し、宝達志水町(ほうだつしみずちょう)が誕生した。しかし、町総務課に尋ねたが「合併協議会の議事録にも理由が残っていない」と判然としない。松原圭介主事は「『まち』よりも『ちょう』の方が読みやすかったからでは」と推測するが、はっきりした理由は分からなかった。

【謎3】北海道と静岡県にある森町

 三つめの謎は「ちょう」派の北海道、静岡県それぞれで唯一存在する「森町(もりまち)」。
 北海道と静岡県にある森町は、道県内のほかの町がすべて「ちょう」と読む中、「まち」の名を冠する孤高の存在。ユースク取材班は「まち」を名乗り続ける理由を調べた。
 静岡県にある12の町のうち、「ちょう」が11を占めている。町教育委員会社会教育課に理由を尋ねると、町名の由来を解説してくれた。
 町史や伝承などによると、町中心部に古くからある三島神社のお宮の森周辺にできた村を「森村」と称するように。その後、村が発展して家が多く集まるようになると、江戸時代ごろには「町場」の意味を込めて、「森町村」と呼ばれるようになったという。明治時代の市町村制導入の際に森町村から現在の「森町」に変更した。内山敬浩係長は「森町町では不自然なので森町となったのでしょう」と説明してくれた。
 一方、北海道には129の町がある中で、森町のみが「まち」を名乗る。町総務課に聞いたところ、昔は「まち」と「ちょう」が混用されていたという。そこで町が調べたところ、1938(昭和13)年の古い電報に「モリマチ」と記され、北海道庁発行の行政区画便覧にも「もりまち」と記載されていたことが判明。そこで87(昭和62)年に混用を避けるため、正式に読み方を「もりまち」と決めたという。
 ちなみに同じ名前の両町は1968(昭和43)年、友好町の協定を結んでいる。
     ◇
 「ちょう」「まち」が東西で分かれる理由は結局、よく分かりませんでした。落ち込む取材班に、今尾さんは「地名は“生もの”で時代や流行によって変わりもするし、例外ばかり。逆にそういうところを楽しんでみては」と慰めてくれました。

 今回紹介した内容は、19日午後4時49分から放送の東海テレビ「ニュースOne」でも報道されます。番組を視聴できない地域の皆さんは同日午後8時以降、番組ホームページの特設コーナーで関連動画をご覧いただけます。  



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