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同級生の死、焼け野原の光景 「福井空襲」栗田元知事が体験語る

2021年7月18日 05時00分 (7月18日 05時00分更新)
戦時中の体験を振り返る栗田さん=福井市の中日新聞福井支社で

戦時中の体験を振り返る栗田さん=福井市の中日新聞福井支社で

  • 戦時中の体験を振り返る栗田さん=福井市の中日新聞福井支社で
  • 福井空襲で燃える市街地=福井市内で(福井市立郷土歴史博物館提供)
  • 福井空襲で建物が焼けた浜町界隈(手前)。「国際航空」のあった足羽川の向こう側も焼け野原になっている(福井市立郷土歴史博物館提供)
 元福井県知事の栗田幸雄さん(91)が本紙のインタビューに応じ、自らの戦争体験を語った。戦時中は中学生で、福井市内の軍需工場に勤労動員されていた。「忘れられない」のは一九四五(昭和二十)年七月十九日の福井空襲。たまたま工場を休み空襲の難を逃れたが、同級生の死、焼け野原の光景は脳裏から離れない。「戦争は本当に悲惨」と訴えた。 (尾嶋隆宏)
 栗田さんは四三年、鯖江市惜陰小学校を卒業し、福井市の福井中学校(現藤島高校)に進学。その春、十三歳になった。太平洋戦争が続いていて「まともに授業を受けられたのは一年生の時だけ」。二年生になると、男手の減った農村に手伝いに。三年生になると、同市桃園周辺にあった軍需工場「国際航空福井工場」で毎日働いた。作っていたのは「航空機のプロペラ」だった。
 福井空襲のあった七月十九日夜は、本来夜勤だった。しかし数日前、鯖江で一緒に住む父親に召集令状が届いた。「その日は休ませてほしい、と工場に伝えていた」。福井市中心部を包んだ空襲の炎は深夜、鯖江からも見えた。今も「運が良かった」としか思えない。
 工場は燃え、工員たちが避難する大騒ぎとなった。後日、勤務していた同級生が焼...

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