本心<37>

2019年10月13日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第三章 再会

「ああ、朔也(さくや)、帰ってたの? おかえり。」
「……。」
「どうしたの、そんな顔して?」
 僕は、ダルマ落としのように、その場に崩れ落ちてしまった。何者かに、不意に、背骨を二、三個打ち抜かれたかのように。蹲(うずくま)って、僕は泣いた。涙を拭おうとして、ヘッドセットに手がぶつかると、カンランシャの応接室の床が見えた。
「どうしたの? 体調が悪いの? 救急車、呼ぶ?」
 僕は首を横に振って、一息吐(つ)くと、両手で膝を押しながらゆっくりと立ち上がった。
 そして、
「大袈裟(おおげさ)だよ。」
 と言った。
 恐らく、同意すれば、本当に救急車を呼ぶ仕組みになっているのだろう。そうした思考が、僕に落ち着きを取り戻させた。
 そして、いきなり救急車を呼ぶというのは、母の言いそうにないことだった。
「石川さん、違和感がある時は、『お母さん、そんなこと、言わなかったよ。』と注意してください。『前はこう言ってたよ。』と訂正してあげれば、それで、学習します。そのきっかけの文言も、仮にこちらで設定したものですので、ご自由に変更できます。一度、試してみてください。」
 僕は、言われた通りに注意をして、
「前は、『大丈夫?』って言ってたよ。」
 と語りかけた。<母>は、少し考えるような表情をして、
「そうだったわね。」
 と微笑した。
 そこまでやりとりしたところで、僕は、助けを求めて野崎を探した。
「視界の右上に触れてください。特に何も印はありませんが、そこに腕を伸ばして触れてもらえれば、終了になります。」
 言われた通りにすると、視界が閉ざされ、やはり少ししてから最初の画面に戻った。
 僕は、会話の途中で切断され、闇の中に取り残されてしまった<母>のことを心配した。「朔也?」と、先ほどとは逆に、<母>が僕を捜して呼びかけている。その姿を思い浮かべると、胸が痛んだ。それは、自然に起こった感情だった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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