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橋本聖子会長が苦渋の表情で告げた「無観客五輪」 29年前「聖子の銅メダル」に涙したアルプスの少女はどう思ったか

2021年7月9日 15時16分

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5者協議などを終え、記者会見する東京五輪・パラリンピック大会組織委の橋本聖子会長

5者協議などを終え、記者会見する東京五輪・パラリンピック大会組織委の橋本聖子会長

【満薗文博コラム・光と影と】
 あれから29年あまりの月日が流れた。だが、この話を橋本聖子さんに直接伝えたことがない。今年に入って東京新聞・中日新聞の夕刊コラム「スポーツひと・とき」さらに、某ゴルフ用品の専門誌のコラムでも一端を書いたが、それらは、ある少女を浮き彫りにするためだった。
 お話を要約する。《アンドリアミアード・タントゥリー・アリジョ。長いが、フランス少女の名前である。1992年2月、仏アルプスの山ふところで行われた、アルベールビル冬季五輪のプレスセンターで、ボランティアとして働く彼女に遭った。当時18歳、地元の高校に通う、小柄な褐色の娘さんだった。各国記者団が呉越同舟する広いプレスホールで、雑用係の彼女は、どういうわけか、われわれ日本記者団の周囲にいて、離れることがなかった。ある日、チョコレートをあげながら、彼女に聴いた。すると、彼女は衝撃的な話をした。「私には日本人の血が流れています」。13歳で旧フランス領のマダガスカルから、家族とこの地にやって来たというが「母の、そのまた母の父は日本人でした」。はるか昔、どうして、その人がマダガスカルにたどり着いたかを、彼女は知らなかった。私が想像するに、遠洋漁業が関係していたのだろうか。…日本には行ったことがありませんが、この五輪で日本人に会えると思ってボランティアに応募したのです》
 この、日本人の血を引く少女は、それから数日の内に涙を流すことになった。歓喜の涙である。
 プレスセンターから、歩いて行ける屋外スケートリンクで、快挙が成った。スピードスケート女子1500メートルで、橋本聖子選手が銅メダルを獲得したのだった。
 「銅メダルか…」ではない。世界のトップに位置する近年の日本女子スピードスケート界の充実、隆盛ぶりから見たら、昔日の感があるが、忘れてはならない。この「聖子の銅メダル」こそ、日本女子が冬季五輪のスピードスケートで得た史上最初のメダルになったのである。
 取材を終えると、僕は興奮のうちにプレスセンターに飛んで帰った。私の顔を見ると、アリジョは泣いた。報道のボランティアだから、既に“快挙”は知っていたのだが「日本選手を応援していました」と、涙を流した。
 アルプスで出会ったあの18歳の少女は47歳になっているはずだ。私は古希を迎えた。あれから29年。1964年10月5日、先の東京オリンピック開幕(同10日)を前に北海道の牧場で生まれ、聖火にちなんで聖子さんと名付けられた彼女も56歳。自転車競技とあわせ日本最多7度の五輪に挑んだ強い女性が、8日夜、苦痛の表情でマイクに向かい「無観客五輪(一部を除く)」を告げた。
 メダリストの顔と、2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の苦渋が、交互に現れる。もし、無観客五輪の報が、届いていたら、あの日のヒロインを、アンドリアミアード・タントゥリー・アリジョは、どんな思いで見つめたのだろう。(スポーツジャーナリスト)

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