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「選手の時は重荷だった。ただ、今では財産」87年の中日・近藤真一初登板ノーノー 伝説は前夜から始まっていた

2021年7月9日 10時13分

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プロ野球史上初、プロ入り初登板の巨人戦でノーヒットノーランを達成し、ガッツポーズを決める近藤真一=1987年8月9日、ナゴヤ球場で

プロ野球史上初、プロ入り初登板の巨人戦でノーヒットノーランを達成し、ガッツポーズを決める近藤真一=1987年8月9日、ナゴヤ球場で

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って~竜巨特別編~
 唯一無二の快挙が巨人戦というのも誇らしい。近藤真一(現真市、アマスカウト)が、初登板でノーヒットノーランをやってのけた1987年8月9日(ナゴヤ)は、ゲームナンバー1206だった。5球団競合のドラフト1位とはいえ、まだ18歳11カ月。前日の1軍初昇格も、3位で同学年の西村英嗣と一緒。「また打撃投手かと思ったのに、ベンチに入れと言われてビックリした」という程度だった。
 伝説は前夜から始まっていた。8日の近藤はブルペンで軽く肩をつくっただけ。9回に追いつき、延長10回は江本晃一が締めた。有力な先発候補が消え、本紙はベテランの鈴木孝政を予想先発の欄に載せた。「近藤もあるかもね」という声はあったようだが「さすがに」と「まさか」の大勢にかき消された。首位の巨人とは3・5ゲーム差の3位。常識でいえばない。しかし、率いていたのは常識の外にいる男・星野仙一だった。
 「(8日の)試合後に球場の風呂に入っておったら、投手コーチ(池田英俊)が追い掛けてきて『明日のピッチャーがいません』と言うからワシはこう言ったんだ。『そんなことないだろう。いくらでもいる。高校生に投げさせい』とな。監督なんて気楽なもんだよ」
 湯煙ごしのこの会話で決まった。近藤が知ったのは当日の練習後。驚いたがひるみはしなかった。「テレビ中継が始まる7時まで」が「5回まで」に変わり、とうとう9回。篠塚利夫(現和典)の背中から内角に鋭く曲がるカーブで、伝説が完成した。それは近藤の背中に重い物がのしかかった瞬間でもあった。
 「ワシは『打たれろ、打たれろ』と思ってたんだよ。1、2本はという意味でな。こんなことであいつの運を使い果たさせたくなかったんだ」。生前の星野はこう話し、近藤自身も苦しんだ時期を認めている。
 「やった時はうれしかったけど、しばらくしてからはやっちゃいけない記録だったんじゃないかとね。選手の時は重荷でしかなかった。ただ、今は誰もできなかったことをやった。財産なんだって思えるようになりました」
 幼少時に亡くした父は、長崎県出身だった。幼いころから「特別な日」だと教えられてきた「8月9日」の大記録。結果的には短命で終わってしまったが、近藤のみならず球団の「財産」と呼べる試合である。

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