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OA辞退するつもりだった吉田麻也 2012年3決韓国戦の苦い記憶が突き動かす「やり残した」【東京五輪連載】

2021年7月7日 06時00分

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日本―ジャマイカ 後半、相手の攻撃を防ぐ吉田(中央)=6月12日、豊田スタジアムで

日本―ジャマイカ 後半、相手の攻撃を防ぐ吉田(中央)=6月12日、豊田スタジアムで

◇東京五輪連載「挑戦2021 初の五輪延期を経て」
 五輪という夢舞台で戦う意義、責任は誰よりも心得ている。25歳以上のオーバーエージ(OA)枠で最多3度目の出場となる吉田麻也(32)=サンプドリア=は「五輪はメダルを取ってなんぼ。ただのオリンピアンとメダリストではかなり違う。絶対にメダルを取りたい」と言った。
 その脳裏には、くすんだセピア色の光景がいまもはっきりと刻まれている。2012年ロンドン五輪3位決定戦・韓国戦。前半38分、吉田はクリアボールの目測を誤り、まさかの先制点を許した。OAとして2度目の五輪、しかも主将という立場ながら肝心な場面で犯したミスは決して消えぬ心の染みとなった。
 9年の月日が過ぎても、「メダルを逃したひっかかりがあった。五輪でやり残したことがある」。集大成のW杯が来年に控えていようが、燃えない理由はなかった。
 ただ、当初はOAを辞退する考えだったという。欧州のシーズン開幕直前に所属チームを離れてしまえば「生き残っていくのが難しくなる」。実力、経験値は一級品で、A代表では主将を務める男だ。森保監督は「絶対的な戦力」として五輪構想の中心に据えていたが、吉田本人は「僕の中での五輪は終わった」と固辞する意向だった。
 だが、日本代表の活動が停止したコロナ禍が転機となり、心が傾いた。
 「自分の残りのキャリアでできることは何だろう。そう考えた時、どれだけ日本のサッカーを押し上げられるかだと思った。少しでも貢献できるなら、トライしたいという気持ちが増した」。自問自答の末、決意は固まり、腹をくくった。
 決勝まで駆け上がれば、歴代最多出場記録の13試合に到達。吉田が五輪記録を手にした時、苦い記憶は上書きされ、その胸にはメダルという勲章が輝いているはずだ。
 ▼吉田麻也(よしだ・まや) 1988年8月24日生まれ、長崎市出身の32歳。189センチ、87キロ。名古屋グランパスU15、U18を経て、2007年にトップチーム昇格。09年12月にVVVフェンロ(オランダ)入り。12年8月にサウサンプトン(イングランド)、20年1月にサンプドリア(イタリア)移籍。10年1月にA代表デビュー。14、18年W杯出場。国際Aマッチ通算107試合出場、11得点。五輪は08年北京大会、12年ロンドン大会に出場。
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