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野球少年の心を持ち続けた大島康徳さん シャイで繊細、「俺は病人じゃない」と陽気な一面も…ありがとうございました

2021年7月5日 13時13分

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大島康徳さんと筆者

大島康徳さんと筆者

◇ヘンリー鈴木のスポーツ方丈記
 ドラゴンズの主砲として活躍し、日本ハムの監督も務めた大島康徳さんが亡くなった。
 ずっと信じていた。大島さんがまた戻ってくることを。ドヤ顔で「どうだ、俺は野球をよく分かっているだろ」と、にやつくことを。そんな大島さんが大好きだった。野球少年の心を持ち続ける大島さんと話していると、いつも心が躍った。
 大島さんと最初に会ったのは、私がまだ中学生の時だった。ドラゴンズが巨人の10連覇を阻み、20年ぶりの優勝を遂げた1974年のころ。当時の「燃えよドラゴンズ!」で「一発長打の大島君」と歌われているように、まだ20代前半だった大島さんは代打で登場して本塁打を放つ印象が強く、ベースを1周する時に三遊間で必ず大きくジャンプするパフォーマンスも知られていた。
 そんなヤンチャぶりを愛していたのは、今は亡き私の母親だった。大島さんが本塁打を打つと「また打ったね」と喜び、夜のスポーツニュースでそのシーンが流れると「ここでジャンプするよ。ほら、ジャンプした」と、はしゃいでいたのを思い出す。
 ただ、そのころの大島さんはファンだった私がサインをねだっても「おお」と言って仏頂面でサインペンを走らせるだけ。それを母に報告すると「早くお嫁さんをもらえばいいのにね。そうしたら変わるかもしれないよ」などと言っていた。そのような素っ気なさが、実は人一倍シャイな性格からだったことを知ったのは、大島さんが東京中日スポーツに評論家として加わり、一緒に仕事をするようになってからだった。
 大島さんとは、ドラゴンズファンを前にしたトークショーでもステージでよく掛け合いをした。会場に訪れていた人は気付いたと思うが、野球を細かく、よく見ていた。日本ハムの監督時代は退場処分の多さで目立っていたこともあって、その豪放さばかりに目が行きがちだったが、実際は守備側の野手のちょっとした足の動きなども見逃さず、好プレーや、逆にミスの背景などを的確に指摘していた。
 「すごいですね、本当によく見ていますね」。私が感心すると、そのたびに「俺は監督をやったんだぞ。そのくらい分からなくて監督ができるか」と怒られ、「すいません、大島さんのことをまだ十分に分かっていませんでした」と、いつも謝っていた。
 そんな大島さんとタクシーに乗っていた4年前の5月のこと。その3カ月前に大腸がんであることを告白していた大島さんは「みんなして俺のことを病人のように見るけど、俺は何ともないし、病人じゃないからな。ステージ4のがんだって、治る人は多くいるんだ」と、車中で語気を荒らげた。
 だから私は今でも大島さんが難病を患っているとは思っていない。自宅も近いのでいつもそばにいて、携帯に電話すれば「おっ、ヘンリーさん、久しぶり」と元気な声で出てくれると思っている。でも言わせてください。シャイで繊細なのにいつも陽気に振る舞い、周囲を気遣っていた大島さん、お疲れさまでした。そして、ここまで本当にありがとうございました。またいつの日か、野球の話をたくさんしましょう!
 ◆ヘンリー鈴木(鈴木遍理) 東京中日スポーツ報道部長、東京新聞運動部長、同論説委員などを経て現東京中日スポーツ編集委員。これまで中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、大リーグ、名古屋グランパス、ゴルフ、五輪などを担当。
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