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<聖火移りゆく 五輪とニッポン>第2部 おれについてこい(6)頂点極め続投の重圧

2020年2月13日 11時03分 (7月5日 11時05分更新)
64年の東京五輪の時、大松博文が着用していたスーツと帽子=兵庫県尼崎市のユニチカ記念館で

64年の東京五輪の時、大松博文が着用していたスーツと帽子=兵庫県尼崎市のユニチカ記念館で

 当時、米国と世界を二分した超大国が、その試合に威信をかけていた。
 一九六二(昭和三十七)年十月二十日、ソ連(当時)の首都モスクワで開かれた女子バレーボール世界選手権。四連覇を狙うソ連と、前回二位の日本がリーグ戦中盤で対戦し、事実上の優勝決定戦となった。
 前年夏、ソ連は「ベルリンの壁」を築き始め、東西冷戦を本格化させていた。観客席には、一年半前に人類初の宇宙飛行に成功し「地球は青かった」の名言を残したソ連の英雄ガガーリン。後に共産党書記長として長期政権を築く最高会議議長ブレジネフの姿もある。
 その大舞台で、大松博文率いる日本代表が、猛練習で極めた秘技「回転レシーブ」でソ連の強打を拾いまくる。「木の葉落とし」と呼ばれた変化球サーブでも翻弄(ほんろう)。セットカウント3-1で宿敵を破る。
 大松は選手に胴上げされ、ガガーリンの目前で宙に舞う。
 「いま、わたしは死んでもいい!」
 翌年、出版された自著「おれについてこい!」で、率直に喜びを記している。二年後の東京五輪で再びソ連を破り、優勝したときは無表情だったが、モスクワでは涙も見せている。
 「東洋の魔女」。ソ連の新聞が驚きをもってつけた呼び名は...

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