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<聖火移りゆく 五輪とニッポン>第2部 おれについてこい(4)「社運」のため 猛練習

2020年2月9日 10時37分 (7月5日 10時41分更新)
猛練習の痕が残る日紡貝塚体育館の床と大松博文らのサインボール=大阪府貝塚市の市歴史展示館で

猛練習の痕が残る日紡貝塚体育館の床と大松博文らのサインボール=大阪府貝塚市の市歴史展示館で

 闇に包まれた広大な紡績工場。大食堂を改造した体育館に深夜まで明かりがともる。ほぼ半日、球を追い続けた女子部員たちは日付が変わったころ、寮に引き揚げていく。
 大松博文が率いる大日本紡績(日紡、現ユニチカ)貝塚バレーボール部。大阪府南部の貝塚工場を拠点とした。「先生の機嫌が悪ければ朝五時まで」及んだ猛練習の日々を、元日本代表の松村好子(78)は思い起こす。
 松村ら部員は午前八時から事務員として働き、午後三時すぎに練習に集まる。入社したころは午後九時に終わったが、年を追うごとに練習は長くなる。一九六四(昭和三十九)年東京五輪の前年になると、午前零時より前に終わった記憶がない。
 午後七時ごろに軽食のおにぎりを食べ、寮に帰って午前一~二時に冷めてかたくなったおかずとご飯をかき込んで寝る。朝は朝食抜きで職場に向かった。
 「アマチュアスポーツの神髄は、きちんと仕事をして余暇でバレーをやる」。大松は日紡制作のドキュメンタリーで語るが、大松の言う「余暇」は水準が違う。
 「やるからには勝つチームにならなければならない。まず日本一に、そして世界の王座に」。自著「おれについてこい!」で決意を示している。
 そ...

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