本心<41>

2019年10月18日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第三章 再会

「現実の人間関係だけが現実ではないですから。 V F (ヴァーチャル・フィギュア)との関係も、わたしは、人生の一部だと思います。お母様を大切になさってください。」
 僕は、そういう言葉を、もう二度と、人から聞くことはなかったはずだった。
 勿論(もちろん)、その「お母様」は、母ではなく、あのヘッドセットの奥の闇で僕を待っている<母>を指していた。いや、――それとも、両方だろうか?
 僕は、自分がここで最初に発した、あの「母を作ってほしいんです。」という言葉を思い出した。それに対する返答だったが、いずれも、一つ一つの語が、本来の語の代替品のように感じられて、しかもそれが組み合わされた一文の真贋(しんがん)を、僕は見極められないのだった。

第四章 再開

 一夜明けて、リヴィングの観葉植物に水をやり、朝食を作ると、僕はヘッドセットを装着して食卓に着いた。
 トーストとベーコンエッグ、ヨーグルト、それにコーヒーという、かつて、母と共にしていた、十年一日の如(ごと)く変わらぬメニューだった。
 実際に作ったのは一人分だが、仮想空間のリヴィングにも、現実と同期した時間が流れており、<母>の前にも、スキャンされた皿が映像として添加されていた。<母>は、昨夜とは違い、パジャマを着た寝起きの顔だった。
 ヘッドセット以外の機器の設置は、昨晩、深夜までかかって済ませていた。寝不足だったが、コンピューター関係の作業の例に洩(も)れず、それは、途中で止めることの出来ない性質のものだった。無論、なかなか原因を突き止められない不如意で、何度か苛々(いらいら)させられた。
「いただきます。朔也(さくや)は、手際が良いわねえ、いつも。」
 <母>は、トーストを手に取って、二つに割りながら言った。笑顔だった。しかし、写真で見ていた補整後の表情とは違い、なるほど、目許(めもと)には、睡眠がもう拭いきれない、長年の疲労のあとがそのまま残されていた。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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