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遺骨の声を聞け 辺野古・収容所跡地に眠る可能性

2021年6月25日 05時00分 (6月25日 05時00分更新)
遺骨が混じる土砂が新基地建設に使われる恐れがあるとして、抗議のハンガーストライキを行う具志堅さん(右から2人目)=22日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で

遺骨が混じる土砂が新基地建設に使われる恐れがあるとして、抗議のハンガーストライキを行う具志堅さん(右から2人目)=22日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で

  • 遺骨が混じる土砂が新基地建設に使われる恐れがあるとして、抗議のハンガーストライキを行う具志堅さん(右から2人目)=22日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で
  • 沖縄本島に上陸した米軍に拘束され、道路脇に座り込み、日本軍攻撃に向かう米軍を見つめる住民=1945年4月(ACME)
  • 辺野古にあった米軍管理下の収容所=1945年7月(米軍撮影・沖縄県公文書館所蔵)
  • 森松長孝さん(川満彰さん提供)
 新しい米軍基地の建設が進む沖縄県名護市辺野古には戦中から戦後にかけて、米軍により民間人の収容所が造られ、飢餓やマラリアで多くの死者を出した。遺骨の収集活動はこれまでほとんど行われておらず、今も遺骨が残されている可能性がある。県全域で沖縄戦戦没者の遺骨収集に携わる人たちは「また死者を冒涜するのか」と憤る。(佐藤直子、石井紀代美)

栄養失調やマラリアで死者多数

 「なんで沖縄だけが日米の戦争に巻き込まれて犠牲を強いられたのか」
 沖縄市の森松長孝さん(87)は「慰霊の日」の二十三日、本紙の電話取材にこう語った。テレビで式典を見て、自宅で黙とうしたという。
 現在の米軍基地キャンプ・シュワブ(辺野古)にあった「大浦崎収容所」に、森松さんが入ったのは一九四五年の六月下旬だった。
 米軍は三月二十六日に慶良間諸島、四月一日に沖縄本島に上陸。森松さんが祖父母と暮らしていた本島北部の本部町でも戦闘があり、敗れた日本兵は山に逃げ、家を焼かれた森松さんらも近くで身を潜めた。
 日本軍の組織的戦闘が終わると、先に米軍の捕虜になっていた母が「もう出てきていい」と伝えにきた。祖父母と一緒にトラックに乗せられ、「ずいぶん...

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