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岡口判事の訴追 つぶやく自由はどこに

2021年6月24日 05時00分 (6月24日 05時00分更新)
 「不適切な投稿」で仙台高裁の岡口基一判事が訴追され、今後は国会の弾劾裁判で罷免の可否が判断される。根底に裁判官にも「つぶやく自由」はあるかという論点を含み、慎重な議論が必要だ。
 裁判官にも一般市民の自由があることは自明の理である。政治的中立性や一定の自制が問われることはあるにせよ、国民の一人として政治や社会問題について自己の意見を持ち、見解を表明する自由はあるはずである。
 岡口氏はツイッターやフェイスブックに投稿する希有(けう)な裁判官だ。キリスト教会の家に生まれ、「人は皆平等」と教えられ、育ったことと関係するかもしれない。シングルマザーや性的少数者、知的障害者などに関する投稿が散見される。冤罪(えんざい)の話題もある。
 顔が見えない日本の裁判官とはどこか違い、数多くの投稿にはファンが付き、評判が良かった。
 だが苦情や抗議もあった。犬の所有権をめぐる訴訟や殺人事件に関する投稿では、当事者や遺族らから「傷ついた」「侮辱された」などの声が上がった。
 短い文言の意味より、公開された判決文へとアクセスできるようにした性質の投稿だが、東京高裁は厳重注意をした。さらに分限裁判にかけられ、最高裁は「国民の信頼を損ねる言動」として戒告の処分にした。今回は国会の裁判官訴追委員会での訴追である。
 いずれも遺族らの気持ちを重んじた判断であることは十分に理解する。だが、職務外の表現行為を問題にする以上は、許容されぬ根拠や限度が示されないといけない。どんな基準でどんな制約を受けるか論じられないと、表現の自由は限りなく萎縮してゆく。
 国会の裁判官弾劾裁判では「威信を著しく失う非行」にあたるかが判断される。罷免で法曹資格も失う。過去の罷免は少女買春やストーカー行為などのケースだ。
 投稿自体は犯罪には当たらない。内容が不適切ならば民事訴訟による解決で十分ではないか。訴追はやりすぎだという声が早くも識者から上がっている。
 岡口氏は昨年に廃案になった検察庁法改正案にも反対だった。もし政権や裁判所にとって「目障りな存在」という理由が背景にあるなら、個人への迫害に近い。岡口氏の訴追という事実だけで、もはや日本の裁判官には「つぶやく自由」はないに等しい。

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