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菜の花さんの問い掛け 沖縄慰霊の日に

2021年6月23日 05時00分 (6月23日 05時00分更新)
坂本菜の花さん

坂本菜の花さん

 沖縄の言葉「ウチナーグチ」には「悲しい」という言葉はないそうです。それに近いのは「ちむぐりさ(肝苦(ちむぐ)りさ)」。ただ悲しいのではなく、誰かの心の痛みを自分のものとして一緒に心を痛めること。あなたが悲しいと、私も悲しい。そんな意味だそうです。
 石川県珠洲(すず)市に住む坂本菜(な)の花(はな)さん(21)を主人公にしたドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」(二〇二〇年)に教わりました。
 中学生当時、修学旅行などで訪れた沖縄に興味を持った坂本さんは、那覇市にあるフリースクールの高等部に進学し、地元の料理店で働きながら卒業しました。三年間の体験は、故郷の北陸中日新聞に連載され、書籍や映画にもなりました。

戦争忘れたらいかん

 六月二十三日は、七十六年前の沖縄戦で日米両軍の組織的戦闘が終わった沖縄慰霊の日です。
 米軍上陸から約三カ月に及んだ戦いでは県民の四人に一人、日米の軍人らを含めると二十万人超が犠牲になりました。
 坂本さんの映画では、スクールに入学して初めて迎えた六年前のその日、夜間中学部に通う八十歳すぎのおじい、おばあから沖縄戦の体験を聞くシーンがあります。
 飲まず食わず一週間を生き延びた、焼け焦げた死体の脇を通ったときにまだ生きていた人から足をつかまれたが蹴って逃げた−。
 「戦争があったことは忘れたいけど、忘れたらいかんのじゃないかな」。お年寄りの語り掛けを真剣に受け止めようとする坂本さんのまなざしが印象的でした。
 在学中の沖縄では二十歳の女性が米軍属の男に暴行殺害され、輸送機オスプレイが墜落しました。米軍絡みの事件や事故が起きるたびに、坂本さんは現場に足を運び、関係者の訴えを聞きます。
 「本土にいたら気付かなかった戦争。それが沖縄では今もずっと続いている」。映画では坂本さんの思いがナレーションで流れます。
 卒業後、珠洲市に戻り、実家の旅館業を手伝う坂本さん。沖縄を離れて三年余が過ぎますが、沖縄の現状に、ちむぐりさは消えないどころか、ますます募ります。
 最大の原因は昨年四月、沖縄防衛局が名護市辺野古での米軍新基地建設を巡り、県に提出した設計変更申請。かつての沖縄戦の激戦地で、今も犠牲者の遺骨が眠る県南部の土砂を埋め立てに使う計画が盛り込まれていたのです。
 「人道上許されない」。四十年近く自発的に沖縄戦の遺骨収集を行う那覇市の具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さん(67)が抗議の先頭に立ち、三月に県庁前で六日間のハンガーストライキを決行しました。二十三日まで二回目のハンストも行っています。
 具志堅さんの作業の手伝いをした体験もある坂本さんは三月、呼応する若者六十人余と具志堅さん支援の緊急声明を発表します。
 珠洲市議会にも今月、沖縄県南部の土砂を辺野古の埋め立てに使わないよう求める請願書をやはり仲間とともに提出しました。「沖縄戦では石川県出身の九百一人も命を落とした。何もしなかったら私も加害者」との思いからです。

ちむぐりさ暮らさらん

 <あなたはブレーキが壊れて暴走する電車の運転士。行く手に分岐点があり、片方には五人、もう一方には一人の作業員がいる。どちらに進むか?>
 坂本さんの在学中、現代社会の授業で出た問題。命の重みに違いはなく、正解のない問いです。
 でも、当時の坂本さんは、迷わず「一人の作業員の方」と答えました。一人より五人の命が大事だとなぜ言ってしまったのか。今では悔いているそうです。
 「ヤマト(本土)を守る捨て石にして多くの犠牲者を出し、今も犠牲を強いている。そのヤマトの姿勢そのものではなかったか」と。
 サトウハチローの詞で有名なフォークソング「悲しくてやりきれない」を、沖縄出身の歌手上間綾乃(うえまあやの)さんがウチナーグチで歌っています。サビの<悲しくて/悲しくて/とてもやりきれない>は<ちむぐりさ/ちむぐりさ/今(なま)や暮(く)らさらん>となります。「暮らさらん」は「暮らせない」です。
 理不尽な戦争に始まる「ちむぐりさ暮らさらん」を、沖縄の人々は今も背負い続けています。
 その民意に反する新基地建設を強行し、戦没者を冒涜(ぼうとく)する愚行を重ねようとする。そんな日本の政権は、沖縄の痛みに思いを巡らせているのか、そして、沖縄以外に住む私たち自身はどうなのか。能登半島の先端から、一人の若い女性が問い続けます。

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