本心<50>

2019年10月27日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第四章 再開

「でも、缶ビール買って飲むくらいなら出来るでしょう?」
「家に呼びたくないんじゃないかな。」
「朔也(さくや)が呼んであげれば。」
「遠いよ、ここは。……岸谷は、だから、ベビーシッターも悪くないって言ってる。一生、住めないような豪邸に上がり込んで、ゆっくり出来るから。――お母さんも昔、ベビーシッターをやってたこと、あったよね?」
「そうよ。お母さん特に、インフルエンザに一遍も罹(かか)ったことがないから、大流行の時には、よく頼まれてね。」
「何でだろうね、それ? 前から不思議だけど。」
「ねえ? うなされてる子を、随分、面倒看(み)てあげたよ。……ああ、懐かしいね。段々、子供と遊ぶ体力の自信もなくなって、続けられなくなったけど。」
 僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、それを語って聞かせる相手がいるからに違いない。
 もし言葉にされることがなければ、この世界は、一瞬毎(ごと)に失われるに任せて、あまりにも儚(はかな)い。それを経験した僕たち自身も。
 一日の出来事を語り、過去の記憶を確認し合うことで、僕と<母>との間には、一つの居場所が築かれていった。まるで仮想の町のように。それは、今朝のことと十年前のこととが隣り合わせに並び、家の近くのコンビニと会津若松(あいづわかまつ)とが地続きになっている自由な世界だった。その場所が、母の死後、空虚な孤独に陥っていた僕の精神の安定に寄与したことは間違いない。
 <母>にこのまま学習を続けてほしいという感情が強くなっていた。僕の中で、日中の自分と帰宅後の自分との均衡が、ようやく恢復(かいふく)しつつあった。そして、生きていた母との間で、常にその話題を恐れていたように、<母>に「安楽死」について尋ねるべきかどうかを、思い悩むようになった。
 実際のところ、<母>は、あの膨大なライフログから、僕のまだ知らない何かを学習している可能性があった。僕が言及すれば、その話をし始めるのかもしれず、それに対する僕の反応を学習すれば、<母>はもう、今のままではなくなってしまうだろう。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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