本文へ移動

煮沸、消毒 鏡花の徹底ぶり 「鏡花と衛生」展 金沢の記念館   

2021年6月19日 05時00分 (6月19日 11時46分更新)
旅先の汽車で食べ散らかしたことを記した自筆のはがき

旅先の汽車で食べ散らかしたことを記した自筆のはがき

  • 旅先の汽車で食べ散らかしたことを記した自筆のはがき
  • 鏡花宅にあった空気 消毒をうたう線香の箱
  • 随筆「露宿」の自筆原稿
  • 泉鏡花

 新型コロナの終息が見えない中、金沢市出身の作家泉鏡花(一八七三〜一九三九年)の徹底した潔癖ぶりを紹介する展覧会「鏡花と衛生」が、同市の泉鏡花記念館で開かれている。潔癖症と偏食で知られた鏡花だが、それは赤痢にかかったことがきっかけ。明治から昭和にかけて流行した伝染病で広がった「衛生」の概念など、当時の背景も示しながら、鏡花の生活ぶりを紹介する展示は興味が尽きない。 (松岡等)
 「黴菌(ばいきん)に対する恐怖も病的といっていヽ位だった。何しろ、どんなものでも、沸騰点以上まで煮沸しないものは決して口にしなかった」。鏡花の潔癖症を最もよく伝えているのは、弟子で鏡花の没後に評伝「人、泉鏡花」(一九四三年)を著した寺木定芳の証言だ。

 弟子・寺木の証言

 寺木の書いた「鏡花の一日」にはよく知られるあんパンの逸話が登場する。「指でつまんで食べて、最期に指のあたっていた部分だけをポンと捨てて了(しま)う」。また、「肉と名のつくものは一切口にしない。すべて魚だ」「上物でも刺身(さしみ)などは見るだにいやだというのだった」「酒だけは−ぐらぐらと煮燗(にえかん)にして消毒したつもりで−少しも恐怖していなかった」
 鏡花が赤痢を患ったのは一九〇四(明治三十七)年秋ごろ。寺木は「極端な食癖は三十前後からで、その前は何でも食べたものだった」「大どんぶりに、菜漬(なづけ)を一ぱい、それに烏賊(いか)の生漬(なまづけ)という、いとも不衛生不消化なおかずで大飯をぱくぱくと食べたものだった」と記している。

 「何でも食べた」が

 赤痢になる直前の同じ年の四月に金沢へ帰郷する途中の汽車では、当時から大船駅で名物だったサンドイッチを食し(紀行文「左の窓」)、その後の車中でも思うまま食い散らかして、その様子をはがきにしたためて自宅に送っているほどだった。
 ところが、赤痢感染後は一変する。逗子療養時代の最初期の作品「胡蝶之曲(こちょうのきょく)」には、胃を悪くし、粥(かゆ)かパンしか食べられない青年が登場。実生活でも「煮沸」「消毒」を徹底する生活に入る。作家水上滝太郎の「はじめて泉鏡花先生に見(まみゆ)るの記」(一九二四年)は、おじぎをする際に畳に手の甲をつけるようにして「黴菌を誰にも増してこわがる」様子など、鏡花の潔癖ぶりを活写している。

 赤痢経験して用心

 展示では鏡花のこうした生活を、日本画家小村雪岱(せったい)、作家谷崎潤一郎の文章でも紹介。鏡花が持ち歩いた手の消毒器や煙管にかぶせたキャップ、自宅でたいていたとみられるお香の箱、衛生にまつわるエピソードの多い紀行文にちなんで鏡花の旅行道具なども並ぶ。ほかに関東大震災で被災者となりながら、衛生には敏感に反応していた鏡花の様子が読み取れる随筆「露宿」の自筆原稿も見ることができる。
 穴倉玉日(あなくらたまき)学芸員は「赤痢の経験から始まった潔癖症と偏食だが、病気が癒えても徹底して続けたのが鏡花。ワクチンでコロナが終息した後も、マスクを手放せない人もいるはずです」と指摘した。
 同展は九月十二日まで(七月からは火曜日休み)。

関連キーワード

PR情報

北陸文化の新着

記事一覧