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「超絶技巧」明治の陶工 散逸の陶片、滋賀で発見

2021年6月12日 05時00分 (6月12日 05時00分更新)
信楽窯業技術試験場で保管されていた「陽明門」の陶片(縦8・5センチ、横6・1センチ)(左)と中津川市苗木遠山史料館蔵の陶片(滋賀県立陶芸の森提供)

信楽窯業技術試験場で保管されていた「陽明門」の陶片(縦8・5センチ、横6・1センチ)(左)と中津川市苗木遠山史料館蔵の陶片(滋賀県立陶芸の森提供)

  • 信楽窯業技術試験場で保管されていた「陽明門」の陶片(縦8・5センチ、横6・1センチ)(左)と中津川市苗木遠山史料館蔵の陶片(滋賀県立陶芸の森提供)
  • 陶製模型「陽明門」の屋根(中津川市苗木遠山史料館蔵)
  • 成瀬誠志の肖像画(安藤栄年画)
 明治時代に「超絶技巧」の品を多数残した陶工・成瀬誠志(1845〜1923年)=岐阜県中津川市出身=の代表作の一部が、滋賀県信楽窯業技術試験場(同県甲賀市)で保管されていたことが分かった。細密な上絵付けの技術を生かした逸品で、名工の仕事ぶりや、当時のやきもの産地の人材交流を解明する手がかりになりそうだ。(谷口大河)
 存在が確認されたのは、一八九三年に米シカゴ万博に出品された陶製模型「陽明門」の一部。成瀬は薩摩焼の絵付けと細工を東京で学び、高い技術で人気を集めた。模型は日光東照宮(栃木県日光市)の陽明門に感動したことを機に、約三年がかりで完成させた。大きさは実物の約二十五分の一で、絵は顕微鏡で見ないと分からないほど細かい。周囲の勧めもあってシカゴ万博に出品したが、輸送中の荷崩れで大破。しかし無事だった屋根や陶片が万博で展示され、それだけで銅メダルを獲得した。
 成瀬は無残な姿となった力作に落胆したようで、十五年近くも人目に触れぬよう保管した後、知人らに陶片を譲り分けたとされる。現在、屋根や扉の部分は故郷にある中津川市苗木遠山史料館が収蔵しているが、ほかは散逸し、行方が分からなくなっていた。...

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