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<現場から> ヤングケアラーの声聴いて 浜松の25歳、支援要望

2021年6月9日 12時00分 (6月10日 12時39分更新)
祖父母を介護していた10代の頃を振り返る女性=浜松市内で

祖父母を介護していた10代の頃を振り返る女性=浜松市内で

 家族の世話にかかりきりで、学校の勉強もままならない。手伝いの範囲を超え、介護や家事を担う子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれ、近年少しずつその存在が知られてきた。ただ、家庭内の事情は表面化しづらく、県内では実態の把握すらできていない。十代の後半を祖父母の介護で過ごし、孤立していた女性(25)=浜松市=は、早急な支援の必要性を訴える。 (内田淳二)

◆相談できない 進学先も制限

 「今日もなんとか、生き延びた」。そう思って眠りについた日も、そのまま終わらないことがよくあった。夜中に目を覚ますと、暗闇で傍らに祖母が立っている。「ご飯が食べたい」「もう食べたでしょ…」。認知症のため、何度となく繰り返したやりとりだ。いつのまにか祖母が家を出て徘徊(はいかい)し、街を捜し歩いた夜も、数え切れない。
 浜松市内の病院で働く女性は、父の単身赴任を機に高校一年から五年間、認知症の祖母とがん患者の祖父を介護した。母はフルタイムの仕事で、外にいる時間が長い。学校から帰ると、翌日分の三食を作ることも日課だった。家には「介護は家族でするもの」という空気があり、つらいけれど、「やって当たり前」とも思っていた。
 高校の吹奏楽部は二年で辞めた。居眠りや欠席が増えたとき、教師たちは人ごとのようだった。「何で親にやってもらわないの」「あんたが病院に付き添って何の役に立つんだ」。むしろ、やる気のない生徒だと受け止められた。クラスメートにも、悩みは打ち明けられなかった。付いていけないテレビドラマの話題の代わりに「大人用のオムツ、どこのがいいかな」なんて話をできるはずがない。
 県外の大学の農学部で学ぶ夢も諦めた。幼い頃、泥だらけになりながら祖父と一緒にキュウリやトマトを育てた原体験から思い描いた目標だったが、介護のため地元で別の学部に進むしかなかった。「ここにいるはずじゃなかった。勉強したかっただけなのに」。そんな思いがなかなか消えなかった。
 祖父が亡くなり、祖母が施設を利用し始めた大学二年のとき、介護は終わった。急にできた自由な時間に戸惑った。ヤングケアラーという言葉を知ったのは、その頃だ。同じ経験者と交流会で知り合う中で、やっと自分で自分を認められるようになってきた。それまでは、この境遇に怒りが湧く自分を嫌悪していた。
 「周りの大人といえば、親か先生くらい。十代は世界が狭い。誰かに相談しようということも考えなかった」。そう振り返る女性は、子どもたちが信頼して話せる相手と場所が、何より大切だと考えている。「支援体制をつくるには時間がかかる。でも今、困っている子たちがいる」。せめて話を聞いてもらえれば、心が軽くなる。それだけでも、救われるはずだ、と。

◆見えぬ実態 でも、身近に存在

 ヤングケアラーは「見えにくい存在」と言われる。祖父母を介護した浜松市の女性のように、周囲の無理解を恐れて相談する気がうせたり、家庭内のことを知られたくないと窮状を訴えなかったりするためだ。
 政府が今年四月に公表した初めての実態調査では、公立の中学二年の5.7%、全日制高校二年の4.1%が当事者だった。クラスに一〜二人いる計算で、うち二〜三割が親を世話し、理由は身体障害が多かった。
 調査は全国の約千校を抽出しており、県内の現状は不明。自治体では埼玉県が大規模調査をしたり、神戸市が相談窓口を設置したりする動きがあるが、静岡県の担当者は「ヤングケアラーは法律上の定義もなく、独自の調査はまだ難しい。国の動きを見て情報収集している段階」と説明する。
 しかし、ヤングケアラーが身近に存在していることは確かだ。浜松市内のヘルパーの女性は訪問介護先で、障害のあるきょうだいや、精神疾患のある母親の面倒を見る子どもに出会ってきた。中には小学六年生もいた。女性は「同僚もさまざまなケースを見ている。実感として、その数は少なくない」と話す。

 <ヤングケアラー> 日本ケアラー連盟によると、大人が担うような責任を引き受け、家族の介護や家事をする18歳未満の子ども。ケアが日常化して本人に自覚がないまま重い負担になり、学業との両立が難しくなるなど、子どもの権利が守られないことが懸念されている。


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