本文へ移動

“ラウェイファイター”渡慶次幸平、「駄目なヤツ」がファイトマネーでミャンマーに学校建てた 「子どもたちの環境変えたい」

2021年5月31日 05時00分

このエントリーをはてなブックマークに追加
ミャンマーに学校を建設するためリングに上がり続ける渡慶次幸平

ミャンマーに学校を建設するためリングに上がり続ける渡慶次幸平

  • ミャンマーに学校を建設するためリングに上がり続ける渡慶次幸平
  • 本紙のインタビューに応じた渡慶次
  • ヤンゴン郊外の小学校を訪問する渡慶次=2018年12月(本人提供)
 政情不安定なミャンマーに学校を建てた日本人の格闘家がいる。渡慶次幸平(32)は、世界一危険な立ち技格闘技と呼ばれる「ラウェイ」のリングに上がり、ファイトマネーを現地の子ども支援に充てている。ミャンマーの国技を題材にした映画「迷子になった拳」(今田哲史監督)にも出演。ホームレスから王者になり、学校建設に目覚めた“ラウェイファイター”の人生の軌跡を聞いた。(占部哲也)
 19歳の渡慶次は、「本当に駄目なヤツ」だった。ミャンマーに学校を建てる人間になるなど夢のまた夢。高校を卒業して8カ月―。資金をためて上京するつもりが、手元に残ったのはお年玉の3万円だけ。格闘技のスターになるという夢だけを膨らませて沖縄から首都を目指した。
 「高校まで野球をやっていたけど、高2の時に対戦したT-岡田(現オリックス)のスイングを見てプロは諦めた。当時、山本KIDさんに憧れて高3の夏から格闘技を始めました。沖縄で開催された大会に出て、盛り上がって『これは東京でも行けるわ』と」
 だが、現実は甘くない。泊まる場所は、漫画喫茶からマクドナルドに…。そして、東京で初めての冬を迎えた。最後は「暖かくて、きれいだった」という目黒駅のトイレで夜を明かした。頼れる故郷の先輩を見つけるまで、約3カ月間のホームレス生活。最後、財布に残ったのは60円だけだったという。渡慶次は自虐的に笑って振り返る。
 「住所不定、無職。オレオレ詐欺も社会問題化していた時期で、銀行口座もつくれなかった。東京砂漠でさまよいました」。先輩の助けでアルバイトも始めたが格闘技ジムに入ったのは1年後。24歳の時に総合格闘技でプロデビューするも、白星は伸びず、くすぶった。
 29歳の春、転機が訪れた。総合格闘技の試合で敗れた翌日だった。「会長から『ラウェイっていうやばい競技をやらないか?』と言われた。『ファイトマネーはいくらですか』と聞いたら、それまでの10試合分を1回でくれると。そりゃ~やるでしょう」。拳はバンテージを巻くだけ、頭突き、肘、投げと何でもあり。「マネー」を求め、2017年6月に日本で開催された過激なリングに初めて立った。
 「痛かった。このひと言。パンチは硬球が顔面に当たる感じ。それも1発じゃない。頭突きで意識は飛ぶし、切れて何十針も縫う。そりゃ、顔も変形しますよ」
 初戦はミャンマーのホープに完敗した。顔は大きく腫れ、原形をとどめなかった。しかし、多くの日本人がオファーを断る中、渡慶次に辞めるという選択肢はなかった。国内を拠点に競技継続を決断。「お金をくれる(笑)。これなら『本当の意味でのプロ格闘家として食える』と思った。妻にファイトマネーを渡すと喜ぶし、自分も誇らしかった」。人生の歯車が好転し始めた。
 5戦目で初勝利、6戦目でミャンマーの英雄をKOで倒す。個人スポンサーも付き、格闘技1本で「食える」選手になった。声援も「日本人頑張れ」から「トケシ」コールに変わった。「死んでも勝つという境地」。遺書を書いてリングに向かった。恐怖を振り払い、勇敢に立ち向かう。本場でもテレビ放映され、ファンから「狂戦士」と呼ばれるようになった。
 2018年末。ミャンマーでのビッグマッチに招待され、30歳で75キロ級王者に輝いた。試合翌日、ヤンゴン郊外の学校へ文房具などを届ける活動に参加した。目にしたのは衝撃的な光景だった。渡慶次は言葉に熱を込めて言う。
 「村には1個しか売店がない。学校には壁がなくて、雨水で床は腐っていた。子どもたちには、ケーキ屋や警察、俳優になりたいとか、日本では当たり前の夢がない。例えば竹を切る職業など親の仕事を継ぐだけ。でも、この現状に誰も手を付けない。誰もやらない。放置されていた。もう、オレがやるしかないと」
 日本で言えば横綱。外国人王者の訪問は現地で報道され、反響を呼んだ。「『こんなところに学校があったのか』と現地のお金持ちが支援してくれて、学校が改修されました。自分も学校を建てたいと思って聞いたら『200万円必要』だと」。もう、スポンサーの協賛金だけで生活できるプロになっていた。翌19年のファイトマネー全額を学校建設に使う。渡慶次の腹は決まった。
 だが、アクシデントが襲う。19年の初戦で右拳を骨折。それでも、学校建設の資金を得るため、けがを隠して5戦(3勝1分け1敗)を戦い抜いた。すると、全国放送のテレビ出演も決まった。「クラウドファンディングも同時に走らせれば視聴者の受け皿にもなる」と即座に動いた。約270万円の支援金を集め、ファイトマネー、テレビ出演料も含め総額500万円を寄付。学校建設を実現した。
 なぜ、お金もためられない「世の中をなめた本当に駄目な」男が、そこまで変われたのか。渡慶次は「みんなに『もうすぐ死ぬんじゃねーか』と言われますよ」と苦笑しながら胸の内を教えてくれた。
 「ラウェイに出合ってなければこんな人間に絶対になってない(笑)。失敗続きの自分を応援してくれる人が増えた。自分が変わったというよりも、変えてもらったに近い。今は、本当に環境が人をつくると思う。だから、ミャンマーの子どもたちの環境を変えてあげたい。学校が変われば絶対に変わる」
 今夏には自身が出演した映画「迷子になった拳」が沖縄で上演される予定だ。3万円を握って故郷を飛び出してから13年―。ラウェイに出合い「顔」も「人」も変わった戦士は口角を上げてから言った。「昔を知っている人は『本当にこれが渡慶次か?』と言うでしょうね」。固く握った拳にもう迷いはない。地べたのヒーローの顔に刻まれた幾多の傷、拳の手術痕が、今は光り輝く“勲章”に見えた。
 ◆渡慶次幸平(とけし・こうへい) 1988(昭和63)年6月4日生まれ、沖縄県豊見城村(現・豊見城市)出身。糸満高では野球部に所属。高3の夏から総合格闘技を始める。2007年11月に上京、ホームレスも経験。12年にパンクラスでプロデビューも戦績は5勝5敗。17年6月からラウェイに参戦し、18年12月に75キロ級王者を獲得した。身長170センチ。
 ◆ラウェイ ミャンマー発祥の立ち技格闘技で国技。1000年以上の歴史を持つといわれ、神聖な面も持ち礼節を重んじる。一方、ルールは過激。拳はバンテージのみグローブなし。頭突き、肘、膝、投げ、脊髄への攻撃も可能。1ラウンド3分で5ラウンド制。判定はなく引き分けとなる。日本では、ミャンマーのスポーツ省認定の団体から公認を受けたILFJが主に大会を開催している。

関連キーワード

PR情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ