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<あいちの民話を訪ねて>(38)野間大坊(美浜町)

2021年5月30日 05時00分 (5月30日 05時00分更新)
木太刀が供えられている源義朝の墓=美浜町野間で
 

木太刀が供えられている源義朝の墓=美浜町野間で  

  • 木太刀が供えられている源義朝の墓=美浜町野間で
 
  • 討ち取った義朝の首を洗ったとされる「血の池」=美浜町野間で
 正式名称を鶴林山大御堂寺、通称・野間大坊(美浜町野間)には、源氏などにまつわる史跡が今でも多く残る。一歩足を踏み入れれば、まるで源平合戦の時代へタイムスリップできるようだ。
 代表的なものの一つに源義朝の墓がある。見ると、墓の周りには、木太刀が山のように、うずたかく積み上がっている。花ではなく木太刀? と思うかもしれないが、これは、武芸の達人であった義朝が入浴中に襲われた時、「無念。われに木の太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん」と言って絶命したと伝わっていることに由来する。後の世の人々が義朝の菩提(ぼだい)を弔うために、墓に花の代わりに木太刀を供える習わしとなったのだ。そしていつしか、願いをかなえる武将源義朝として人々が願いを書いた木太刀を墓に供えるようになった。
 また境内には、長田親子が義朝を討ち取った後に首を洗った池「血の池」も残る。国家の一大事には、池の水が赤くなると言い伝えられており、実際に江戸時代の「安政の大獄」の際には赤くなった証拠も残るという。
 水野真円住職(59)は「お墓など、ちゃんと形として残っているのは顕彰もできるのでありがたい。さまざまな文化的価値のあるお寺...

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