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九州忍者、「島原の乱」で数々の武功 三重大・山田教授らが調査

2021年5月28日 05時00分 (5月28日 05時00分更新)
山田雄司教授

山田雄司教授

 江戸初期の1637年から翌春にかけ、原城(現在の長崎県南島原市)を主戦場に起こった「島原・天草一揆(島原の乱)」。鎮圧にあたった幕府軍で、九州各藩お抱えの忍者たちが諜報(ちょうほう)をはじめ重要な役割を果たしたことが、近年の研究で明らかになってきた。(谷村卓哉)
 益田(天草)四郎時貞を盟主とする一揆勢を前に、幕府軍は当初、総大将板倉重昌が討ち死にするなど大苦戦した。代わって総大将となった老中松平信綱は、九州全土の大名を動員。一揆勢が立てこもる原城に総攻撃をかけた。その際、信綱が江戸から戦地へ向かう途中の甲賀水口(現在の滋賀県甲賀市)で軍に迎えた忍者十人が諜報などに従事したとされるが、九州諸藩が個別に抱えた忍者も大きな役割を果たしたらしい。
 三重大国際忍者研究センター副センター長の山田雄司教授は昨年、福岡藩に関する調査をした際、ある男の名に目がとまった。柴岡九郎兵衛。一八三七年に描かれた「嶋原陣図御屏風(びょうぶ)」の左隻に、他の兵と同じ甲冑(かっちゅう)姿で突撃する姿が表現されていることは知られていた。この時調べたのは、同藩の支藩・秋月藩の藩士が一七四八年に記した文書「嶋原一揆談話」...

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