本文へ移動

似ていた2人の女性…ノムさんは、沙知代さんに、無意識のうちに、母の面影を見ていたのでないか【竹下陽二コラム】

2021年5月25日 06時00分

このエントリーをはてなブックマークに追加
野村克也さんと沙知代さん

野村克也さんと沙知代さん

◇生涯一野村番がつづる「ノムさんジャーニー」その15
 4月末。ある晴れた日の昼すぎ、私はノムさん邸を訪れ、仏前に手を合わせた。遺族と思い出話に花が咲いたことは、前回(5月21日)と前々回(同20日)のコラムで書いた。
 滞在は長くて30分ぐらいにする予定だった。しかし、話も尽きずに1時間が過ぎていることに気付いた。帰る前に、もう一度、仏壇に視線を投げかけた。仏壇の横に写真立てに入った若かりしころ、と言っても、たぶん、50歳前後と思われる沙知代さんの写真がこちらを見ていた。いや、沙知代さんだと思ったけど、よく見ると、別人だった。それは、ノムさんの亡き母ふみさんの写真だった。今さらながらに気付いたのだが、2人はビックリするくらいに似ていた。母子家庭で育ったノムさんは、病気と貧困と戦いながら、女手一つで育ててくれた母への思いが強い。ひょっとしたら、ノムさんは、沙知代さんに、無意識のうちに、母の面影を見ていたのでないか、と勝手に想像してみた。
 南海を追われ、大阪を捨てた。そして、新天地・東京で野球人として、さらに、大きな花を咲かせた。その陰に苦楽をともにした沙知代さんの存在があった。阪神監督辞任のいきさつを振り返ってみると、もし、あの時、阪神監督を続投していれば、ノムさんの病気の発見が遅れて、命も落としていたかもしれない。それを考えると、沙知代さんは命の恩人だったのではないかとすら思えてくるから不思議だ。
 いよいよ、帰ろうとしたその瞬間、母ふみさんの写真立ての横にある、ノムさん直筆の色紙に書かれた文言が目に飛び込んできた。帰る前に、これも見てくれよ、とノムさんに言われているようだった。
 ♪一で輝く人生よりも 次で実のなる道がいい…
 しびれる言葉。まさに、ノムさんにピッタリだ。作詞・山口洋子。ノムさんがヤクルト監督時代にリリースした「俺の花だよ月見草」である。サッチーがいたからこそ、次もその次も咲いた月見草だったのではないか。そう言えば、最近、沙知代さんとノムさんの晩年をサポートした克則君の妻・有紀子さんが、月見草の種を庭にまいたという。ファンから贈られた種だ。あの花は、いつ、咲くのだろう。私は、ボンヤリとそんなことを考えながら、ノムさん邸を後にした。
PR情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ