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「最後の浮世絵師 月岡芳年展」退廃、幻想、狂気「血みどろ」文豪ら寄せる関心 三島、谷崎、芥川も

2021年5月15日 05時00分 (5月15日 10時55分更新)
残酷絵の代表作として有名な「奥州安達がはらひとつ家の図」大判錦絵縦二枚継、明治18年(1885)、75.4×25.7センチ、名古屋テレビ放送所蔵

残酷絵の代表作として有名な「奥州安達がはらひとつ家の図」大判錦絵縦二枚継、明治18年(1885)、75.4×25.7センチ、名古屋テレビ放送所蔵


 幕末から明治にかけて活躍し、数多くの錦絵を残した月岡芳年(つきおかよしとし)(一八三九〜九二年)。当代一の人気を誇った“最後の浮世絵師”は、三島由紀夫や芥川龍之介、泉鏡花といった文豪にも愛された。芳年の何が名だたる作家たちを引きつけたのか。 (鈴木弘)
 武者絵で有名な歌川国芳(うたがわくによし)に学び、三十歳で維新を経験した芳年が円熟期を迎えるのは明治十年代ごろから。西洋化の反動で日本美術の再評価が進む中、一八八二(明治十五)年に開かれた官営の第一回内国絵画共進会の出品作家に選ばれ、八五年の「東京流行細見記」では、浮世絵師の人気ランキングで一位に上り詰めた。
 美人画や歴史画、戦争画や開化風景など幅広いジャンルで名品を残した芳年だが、とりわけ文豪たちの目を引いたのは「血みどろ絵」と呼ばれる作品群だ。版元からの注文で歌舞伎や講談の刃傷沙汰などを描き、凄惨(せいさん)な血の表現が人々に受けて、後には芳年の代名詞のようになった。
 浮世絵に詳しい大阪市立大教授の菅原真弓さんは、著書「月岡芳年伝」で、芳年に関心を寄せていた作家として、三島由紀夫や谷崎潤一郎、芥川龍之介、川端康成らの名前を挙げ、芥川には「血みどろ絵」を見た後、眠れなくなり、ついには手放したというエピソードがあると紹介する。
 菅原さんは、影響力のある三島が一九六八年に雑誌「批評」で「大蘇芳年の飽くなき血の嗜慾は、有名な『英名二十八衆句』の血みどろ絵において絶頂に達するが、ここには、幕末動乱期を生き抜いてきた人間が投影した、苛烈な時代が物語られている」と論評したことに注目。退廃や幻想、狂気といった要素が文化人たちの琴線に触れ、評価が定着したとみる。
 七七年に東京・西武美術館であった初の大回顧展の図録で、日本文学研究者の神田由美子さんは、谷崎や芥川を例に、芳年は「当時の少年達にロマンを与える劇画家、つまり現代の横尾忠則や白土三平にも通ずる存在であった」と解説。さらに「近代文学史の中で極端に、あるいは嫌悪され、あるいは美化され、その真の形を歪(ゆが)められてしまった『江戸』なるものの(中略)最後の姿を理解する上で、芳年芸術は、もう一度見直されるべき重要なキーワードを内包している」と述べている。
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 金沢市の金沢21世紀美術館で開催中の「最後の浮世絵師 月岡芳年展」(北陸中日新聞、石川テレビ放送主催)は二十三日まで。無休。

「奥州安達がはらひとつ家の図」金沢の記念館も収蔵

 鏡花 短編に登場させる

 幻想と怪異の世界を描いた泉鏡花も、芳年に魅了された一人。一九三〇年に発表した短編小説「木の子説法」の中で、残酷絵の代表とされる「奥州安達(おうしゅうあだち)がはらひとつ家(や)の図」を場面描写に利用し、主人公に古道具屋の店先で見た時の衝撃を語らせている。
 金沢市の泉鏡花記念館は、鏡花作品に登場するこの浮世絵を重要資料として収蔵し、二〇〇八年以降ほぼ毎年展示している。学芸員の穴倉玉日さんは「版画としての完成度が高い。これを目当てに来館するお客さまも多い」と話す。
 国際浮世絵学会常任理事で徳川美術館副館長の神谷浩さんは、西洋画の写実や遠近法の影響を指摘した上で「芳年作品の大きな特徴である構図の緊張感と静謐(せいひつ)さが見て取れる。血は流れていないのに残酷な展開を予感させる。最盛期に手掛けた素晴らしい作品」と説明している。

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