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礼儀が話題…根尾昂と重なる殿堂入りした“伝説のエース” 未公開株拒否、通勤手当を返納【増田護コラム】

2021年5月6日 11時52分

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吉田正男さん

吉田正男さん

 その日もベンチをきれいに片付けた。5月4日、満塁弾でプロ初本塁打を記録した中日の根尾昂内野手。ファンの間では礼儀正しいエピソードが話題になっている。例えば、高校時代にはトイレットペーパーを三角に折っていた…とか。
 スポーツ界はどう人を育て、どう組織をつくるかで腐心してきた。例えば明大野球部、帝京大ラグビー部はそれぞれ4年が合宿所のトイレ掃除をするのが習わしである。その理由を明大の故島岡吉郎監督は「4年生は社会に出れば1年生になる」と言ったし、帝京大の岩出雅之監督は「右も左も分からない1年の負担を軽くする」と言った。
 結果として下級生はトイレをきれいに使い、先輩の背中を見て育つ。社会に出て、その教えがあまり実践されていないのが現実だが、根尾に関しては精神が体に染み込んでいるように見える。
 さて、野球で学んだフェアプレーを貫いた人がいる。野球殿堂入りの吉田正男さんである。中京商で夏の甲子園3連覇を達成した伝説のエースである。筆者が中日スポーツに配属された時、評論家としてアマ野球を担当するかたわら指導教官の役割を務めてくれた。偉そうな態度を示さないどころか、学生アルバイトがするような原稿の仕分けも率先してやっていた。
 吉田さんはボランティアで企業チームの指導も行っており、あるとき、その会社の上場が決まった。「会社の秘書が、未公開株を買えというんだ。すぐ売ればもうかると」。即座に断ったという。「そんな汚いマネができるか」と言った。政財界を巻き込んだリクルート事件(1988年)が起こる1年ほど前のことだった。
 会社では通勤手当を返納して話題になったこともある。「敬老パスが出ているのに二重取りはできない。明細を見て気づいた」と言った。
 吉田さんは明大を経て藤倉ゴムに入社。社会人野球でも藤倉電線のメンバーとして活躍し、引退後は子会社の社長を務めた。ところが部下の使い込みが発覚し、慰留を振り切って退職したとのことだった。背中だけでは引っ張りきれないこともある。このショックを引きずりながらも、信念は最後まで貫いた。こんな人は類いまれである。
 1996年に82歳で亡くなり、5月23日が命日。この大正生まれの生きざまが、勝ってもおごることのない根尾となぜかオーバーラップするのである。

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