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<あいちの民話を訪ねて>(33)竜宮の大蛇(安城市)

2021年5月2日 05時00分 (5月4日 22時19分更新)
2020年6月、ハスの植わった龍宮池=安城市野寺町の本證寺で

2020年6月、ハスの植わった龍宮池=安城市野寺町の本證寺で

  • 2020年6月、ハスの植わった龍宮池=安城市野寺町の本證寺で
  • 地元の日本画家、故水野桜山さんが1978年に描いた、慶円と大蛇(竜)との問答の場面の絵が、寺の本堂にかかる=安城市野寺町の本證寺で
  • 矢作古川沿いに立つ小島龍宮社=西尾市小島町で
 大蛇を倒した「坊さん」が、鎌倉時代後期に安城市野寺町の国史跡「本證(しょう)寺」を開いた慶円(きょうえん)上人だ。修行で各地を巡り、三河の地にやってきた慶円は、西尾市小島町の醍醐山(現大郷山)の麓にお堂を建てた。
 山の麓を流れる矢作古川沿いには、竜にまつわる別の伝説が残る小島龍宮(おじまりゅうぐう)社(西尾市小島町)もある。安城市教委文化振興課の斎藤弘之さん(56)は「幾度となく、大きな水害に苦しめられた地だったのだろう」と話す。
 慶円はその後、新たな布教の地を求めて醍醐山から矢を放った。矢は、約三キロ離れた現在の野寺町に落ちたと伝わる。淵の底に消えた大蛇は竜になり、本證寺にも現れた。竜宮と地下でつながる境内の龍宮池から地上に出て、松の木を伝って本堂へ向かいろうそくをともしたと、寺に伝わる。
 寺は戦国時代には、徳川家康を苦しめた三河一向一揆の拠点となった。慶円の命日の旧暦一月十三日(現在は二月の第二日曜日)に合わせ、現在も法要「おきょうえんさん」が開かれる。門徒かどうかは関係なく、外堀に囲まれた「寺内(じない)」の人たちが運営を続ける。村人に慕われた慶円さんの寺は今も、地域の人に愛さ...

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