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キックの沢村忠さん、「空道」の東孝くんに続き悲報は海外からも…カレンバッチさんに富士山を見せたかった【山崎照朝コラム】

2021年4月20日 17時50分

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初来日時のヤン・カレンバッチ

初来日時のヤン・カレンバッチ

 キックボクシングで一世風靡(ふうび)した“キックの鬼"沢村忠(本名・白羽秀樹)さんが逝ったのが3月26日。沢村さんが亡くなって空手仲間が急に恋しくなった。思えば多くの仲間が鬼籍に入ってしまった。
 後輩の佐藤俊和くんが2018年2月3日に70歳で逝き、岸信行くんは同年4月23日に69歳で他界。私の師でもあった石橋雅史先生(俳優)も同年12月19日に亡くなった。この4月3日には総合格闘技「空道」を創設した大道塾理事長の東孝くんが71歳で逝った。
 悲報は海外からも届いた。米国のウィリー・ウイリアムスさんが19年6月7日に67歳で亡くなった。現役時代の活躍に思いをはせていると今月14日にはオランダ在住の知人から「昨日、ヤン・カレンバッチさんが亡くなりました」とメールが来た。
 1964年にアジアで初めて開催された東京五輪。アントン・ヘーシンクが日本の“お家芸"柔道の無差別級を制して金メダルを獲得したことで海外での柔道熱が一気に過熱した。これに伴い空手の愛好者も急増。来日して柔道と空手を修行する者が増えた。カレンバッチさんもその一人で67年にオランダの空手仲間と二人で日本にやってきた。
 彼はとても頭がよく知的な組手をした。80キロ台の体重で動きも軽快だった。組手が好きで片っ端から黒帯をつかまえては組手を要求。強烈な柔道流の足払いで黒帯を宙に飛ばし、本部の黒帯を総なめにしていた。約1カ月ちょっとの滞在を終え、帰国する前に「いい思い出になれば」と富士山を見に誘った。
 山梨県には私の実家がある。兄の車を借りて富士山に向かったが、御坂峠で本降りの雪に見舞われタイヤがスリップ。残念ながら峠を越せず、目的を果たせぬまま彼を帰国させることになってしまった。その後、彼が極真を離れたこともあり会う機会はなかった。
 教職に就いた彼は定年を迎え、その後は好きな武道を教えるなど楽しみながら余生を送ったようだ。東京五輪で空手が採用され、オランダの関係者に同行して来日したようだが、五輪で母国選手の活躍を見ずに亡くなってしまった。さぞかし無念なことだろう。
 私より5歳上の79歳だった。「あの世に逝くのも順番だから」と言われても空手で汗を流して精進した仲。悲しい知らせには気がめいる。極真を離れた後は他の武術を学ぶために何回も来日していたようだが、私が気にするのは日本人が誇る富士山(ふじやま)を見せてあげられなかったこと。その後、見に行ってくれただろうか。訃報に接しそれが心残りだ。合掌。

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